ダリア園と高尾山(雄和町)
2001年9月8日(土)

ダリア園

 雄和町は,秋田の空の玄関口,秋田空港がある町である。その空港のすぐ近くに,「雄和国際ダリア園」がある。ここは,空港に行くたびに通過するのだが,ダリア園に立ち寄ったことは一度もなかった。飛行機を利用するときは大概が急ぎのビジネスなので,それもやむを得ないのかもしれない。
 ここには,世界14カ国から集められた650種・7,000株ものダリアが植えられている。ここに来るまで,ダリアの種類がこんなに多いとは知らなかった。すべてはとても伝えきれないが,その一部はこちらのページをご覧いただきたい。とにかく,色,形,花の大きさ,背丈と千差万別。これが同じダリアかと思うような種類の豊富さである。


茅葺屋根

 ダリア園の隣には,茅葺屋根の立派な建物が建っている。この建物は,明治17年に建築された豪農の家を移築したもので,この地方独特の馬屋中門造りというのだそうだ。現在は,レストランとして利用されている。こういう建物を見ていると不思議と心が落ち着くのはなぜだろう。


高尾山からの眺望

 雄和町というと,私は高尾山を思い浮かべる。あれは,小学生の頃だったか。町内の子供会でこの高尾山に写生会に来たことがあった。その頃から画を描くことがからきし苦手だったのだが,すごく山登りをして足がガクガクになった記憶がある。
 対向車が来たらすれ違えないような狭い道路を登っていくと麓から10分ほどで山裾の開けた場所に出る。ここに高尾山荘があるのだが,ここからの眺めは抜群である。目の前の黄色く色付いた稲田の真中を,雄物川が曲がりくねった大蛇のように流れている。遠くにには奥羽山脈の山並みがくっきりと見えた。この風景は,とても私が持っているデジカメでは伝えきれない。


石井露月の句碑

 雄和町は,俳人石井露月の故郷だった。高尾山荘の前に「秋立つか 雪の音聞け 山の上」という露月の句碑が建っていた。
 石井露月は,旧制秋田中学中退後,文学で身を立てようと上京し,正岡子規の門下となった。しかし病を得て帰郷。その後医師となって郷里で開業し,医師のかたわら,句作を続け,村会議員として地元の発展に尽力したという。雄和町にとって最も有名な人物なのであった。この近くには,露月の蔵書などを集めた露月文庫がある。


高尾神社本宮

 高尾山は,標高383メートルの低い山だが,信仰の山として,また,伝説の山として知られている。
 その昔,保呂羽山から遁走してきた夜叉鬼という山賊が高尾山中に棲む白石善五郎宅に身を寄せ,いつしか,善五郎の娘米子と親しくなった。やがて大滝丸という息子も生まれ,夜叉鬼は一帯に勢力をふるうようになった。しかし,その後,坂上田村麻呂によって攻められ,夜叉鬼親子は男鹿へ逃げたが,美しい米子は矢を射られて死んだ。高尾山麓の女米木という地名はもともと米女鬼であって,この米子伝説に由来する。
 そして,山頂には,坂上田村麻呂が夜叉鬼の怨霊を鎮めるために建立したとされる高尾神社本宮がある。


急峻な参道

 駐車場がある8合目から,山頂の本宮までの登りは急峻で,足がガクガクになる。正面の鳥居から登る道と,裏手から回って登る道があるが,今回は途中まで車でも行ける裏道を通って登った。それでも,体中から汗が滴り落ち,膝や太ももがきつい。50年も前に山の麓に里宮が建てられ,祭礼などはすべてそこで行われるのだという。さもありなんと思う。下りは急峻な正面口を通ったが,普段人が通ることがないのだろう。道々でカエルやトカゲがびっくりしたように道を横切って逃げていった。

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