悲恋伝説の里 能登山の椿

2008年4月6日(日)

 男鹿半島の西海岸にある椿漁港。その名前の由来になったのが、能登山に自生するツバキである。能登山の椿は、自生ツバキの日本北限の地として、大正11年(1922)、国の天然記念物に指定された。その後、青森県の夏泊半島にも野生ツバキが自生することが確認されているので、北限のツバキの名は返上しなければならないが、天然記念物の指定はそのままである。

 能登山は全山ヤブツバキに覆われ、平成6〜7年の調査では総個体数
573本で前回調査の昭和57年よりも80本以上増えているという。現在もさらに増え続けているに違いない。暖かい地方の植物であるヤブツバキが、なぜこれほどまで自生するのか定かではないが、対馬暖流の影響で、県内では由利の日本海側に次いで温暖な気候が左右しているのだろう。

 山の中に入ると、右も左も椿、ツバキのオンパレードで、太陽の光も遮るほどの鬱蒼とした野生ツバキの林である。能登山の名前が示すとおり、ここは北陸地方との交流があったことを伺わせるが、北陸の若者と土地の娘との間の悲恋伝説が語り継がれている。
 北陸出身の若者が土地の娘と契りをかわし、「2年たったらきっと帰ってくる」と言い残して船上を旅立ったが、2年たっても3年たっても若者は帰ってこない。待ち焦がれた村の娘は、きっと若者の船が難破したに違いないと思い込み、悲しみのあまり自らの身を海に投じた。やがて帰ってきた若者は、その話を聞き、娘が身投げした小高い丘の上に持ち帰ったツバキの実を埋め供養した。翌春、埋めたツバキの実から芽が出て、数年立たずして小高い丘はツバキの花で埋めつくされるようになったという。そこで、小高い丘は若者の出身地を称して能登山と呼ばれるようになったのだそうだ。 

 能登山の向かいは椿漁港となっているが、空き地にはオオイヌノフグリが小さな花を咲かせていた。椿に較べると小さく目立たない花だが、目の覚めるような青が印象に残った。

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