国史跡 脇本城跡

2008年4月6日(日)

 秋田市方面から男鹿市船川港に向かう途中、日本海まで突き出た台地の下を国道101号バイパスの生鼻崎トンネルが通っている。その台地の上にあるのが中世の古城跡「脇本城跡」である。

 脇本城は古くから男鹿半島を掌握する要害の地として城が築かれていたが、天正年間(1570年頃)、争いの絶えなかった檜山安東氏(現:能代市)と湊安東氏(現:秋田市)を統一した安東愛季(ちかすえ)が、蝦夷島管轄の便宜性も兼ね備えたこの城を大規模に整備したものだと伝えられている。

 城跡は、海抜100メートル前後の丘陵地を利用して築城され、東西1.8キロ、南北2キロで全体の面積が150ヘクタールに及ぶ東北最大級の山城だったと考えられている。安東氏は、その後秋田姓を名乗るが、秋田実季(さねすえ)の代に、豊臣秀吉による奥州仕置(1590年)によって、脇本城は廃城となった。その後、文化7年(1810)の大地震で、生鼻岬の700メートル余が海中に没したという。平成16年に国史跡に指定されている。

 長い石段や坂を登りきると、そこには広大な丘陵台地に様々な遺構跡が広がっていた。敷地の中央には天下道と称される当時の主要道が通っている。何もない広い城跡に佇んでいると、歴史的空想がかきたてられ、盛況だった往時が偲ばれてくる。

 館群跡からは、男鹿船川港が眼前に広がっている。ここは日本海沿岸の主要港として交易が栄えた場所である。こうして港を眺めていると、ここが山城として格好のロケーションにあったことを物語っている。

 脇本城の中腹には、菅原道真を祀った菅原神社がある。天正年間(1573〜92)の創建で、安藤氏の鎮守として祀られたものだという。

 菅原神社の裏手には、春先を代表する花キクザキイチゲが群生していた。県内どこでも見られる花だが、一斉に咲きそろう様は壮観である。

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