蔵のまち増田

2006年11月5日(日)


 今は合併して横手市に含まれてしまったが、旧増田町は、明治から昭和初期にかけて豪商の町として栄えたところである。この小さな町に銀行や電力会社も作られたというから、その経済の発展ぶりには目を見張らされる。その銀行は今の北都銀行の前身となる増田銀行で、七日町にある北都銀行増田支店には「北都銀行発祥の地」の碑が建てられている。
 当事の増田の商人地主たちは、自ら収集したお宝の収蔵や、客を迎え入れる客間として活用するため、家の中に贅の粋を凝らした内蔵を競って建造した。それが今なお数多く残っていて、中心部の「中町・七日町商店街」の約200メートルの間には、内蔵が50軒以上残っているという。しかし、蔵の保存には費用もかかるため、最近では蔵を取り壊してしまう家も出てきてきた。そこで、24の蔵の所有者と商工関係者らが、蔵の保存と活用によるまちおこしのため「蔵の会」を設立し、この11月5日を「蔵の日」として、初めて10の蔵を一般公開した。

 本部が置かれた旧勇駒酒造の隣にある「佐藤又六家」は、今は写真屋さんを営んでいる。通りに面した外観も特徴的な造りで3本の梁が外壁を突き抜けている。写真屋さんを通り抜けて内部に入っていくと蔵が現れてくる。奥の文庫蔵が平成17年2月に国の有形文化財に登録された。十代又六が早稲田大学の前身東京専門学校の2期生で、大隈重信と一緒に写った卒業写真が残されており、この日も飾られていた。

 佐藤多三郎家は、戊辰戦争の際、御用金を献納した旧家で、内蔵は明治35年頃の建築である。

 蔵の2階は収蔵庫になっているが、むき出しとなっている樹齢数百年にも及ぶ天然木で作られた梁や桁が素晴らしい。このような蔵が増田にはごろごろとあるのだ。その豊かさはいかばかりだったか。

 1階の奥は和室の座敷になっている。おそらく客間だったのだろう、欄間や天井の装飾が美しい。裏側の扉には内戸として天然木の一枚板が使われていた。

 蔵の裏側の扉。白い漆喰壁が目をひく。ここの蔵は良く整備されていた。

 「まんさくの花」の酒銘で知られる日の丸醸造の内蔵。明治41年の建築で、アオモリヒバの通し柱と白漆喰の壁が整然とした美しさを醸し出す。2階にあるケヤキの梁は見事である。日の丸醸造は、元禄2年(1698年)の創業で、秋田藩主佐竹公の定紋「五本骨の扇に日の丸」から命名された。ここの蔵は、事前に予約すれば普段の日でも見ることができる。

 石田理吉の所有の木造3階建ての住宅。今は誰も住んでいないという。商店街に面し、姿良くすっと立つ3階建ての住宅は一際目をひく。
 この日公開された蔵は、他に「旧勇駒酒造」、「笹原博征家」、「堀田隆家」、「松浦千代松家」、「佐藤与五兵衛家」、「漆蔵資料館」、「石田モト家」であるが、他の蔵も素晴らしいものだった。これだけの資産があるのだから、何とか町の活性化に役立ててもらいたいものだ。

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