5月7日 (火)  市町村合併

今,県がもっとも力を入れて進めているのが市町村合併。でも,これってどれほど県民に浸透しているのだろう。ほとんどヒトゴトだと感じている人が大多数なのではないか。今の市町村規模でも,何ら不便を感じていないとすればそれも当然のこと。だから,今の市町村合併の論議は,完全に行政主導で起こっている。

これまでの行政サービスは,全国どこでも同じサービスが受けられるように,国が一律に地方交付税や補助金,はたまた地方団体を国の出先機関として扱う機関委任事務などで誘導してきた。しかし,社会資本の整備が進み,必要最低限の住民サービスが保障されるようになった今,多様化した住民ニーズにきめ細かく応えていくためには,より住民に身近なところで政策を決定するような仕組みを作らなければならなくなってきた。これが地方分権を進める論理なのだが,その要請するところとして市町村合併が語られている。

これは,論理のすり替えがある。本来,地方分権と市町村合併は別物であるのだが,今の市町村の行政能力(人材や財政規模)では,とてもじゃないが国や都道府県の権限を委譲できないというのがその理屈。いわゆる地方分権の受け皿論と呼ばれるものだ。だったら,財源と人材も併せて委譲すればいいじゃないかと思うのだが,それでは効率が悪いという。効率性ときめ細かなサービスとは対極の論理のはずなのに。

しかし,今の財政状態を考えれば,行政を効率よく進めて赤字を減らすことも重要な課題で,それを考えれば,市町村合併もまた重要な使命を帯びてくる。そもそも,今の市町村の枠組みが出来たのが昭和30年代の始めだから,もう40年以上も経過している。その間の交通や通信の発達,それに伴う人の交流を考えれば,今の市町村ではあまりに規模が小さいのもまた事実である。市町村は15万人くらいの人口規模がもっとも効率的だという指摘もある。

最終的には,市町村合併というのはそこに住む住民が決めること。将来に禍根を残さないよう,十分な議論を行った上で判断すべきことだろう。今の行政主導の合併推進が,このまま上滑りの状態で進むことを危惧する。もっと,自分たちの住むまちの合併論議に関心をもってもらいたい。

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