7月14日 (月)  12歳の狂気

長崎の4歳児殺害事件は、犯人が12歳の少年だったということで、社会に大きな衝撃を与えた。14歳未満の少年は、刑法で刑罰に問えないということもあって、様々な論議を巻き起こしている。鴻池大臣などは、「犯人の親は、市中引き回しの上、磔獄門に処すべきだ」と半ば本気で発言している。どうしようもない政治家が居たものだと思うが、案外その発言に賛成する人も多いそうだ。暗澹たる思いがする。それだけ社会が病んでいる証拠なのか。

この事件で最も衝撃的だったのが、犯人が12歳だったということ。どんなに大人びて見えたとしても12歳の子どもは、まだ発育途中の未成熟な子どもである。特に心の発達を考えた場合、最も難しい思春期に差し掛かる前段階にある。確かに人を殺したというこの少年の行為は責められるべきものであるが、その前にこのような子どもに育ててしまった家庭や、地域、学校などの教育はどうだったのか。この子どもの責任は、そのまま教育に携わったすべての人たちに問い掛けられる問題でもある。

今回の事件でもっとも辛い思いをしているのは、殺人を犯した少年の親や家族だと思う。自分の子どもを殺されるのは確かに辛いけれど、もっと辛いのは殺人者の子どもを持ってしまった親なのではないだろうか。「そんなもん自業自得じゃないか」と言ってしまえばそれまでなのだが、親とすれば自分の子どもが殺人を犯してしまうなんて夢にも思っていなかっただろうし、今子育てに不安を覚えている多くの親たちは、いつ自分の身に振りかかってくるかもしれないという恐怖を感じているのではないか。

問題は、この少年を責めることではなく、このような事件を二度と起こさないための対策をいち早く講じることだと思う。それをやらなければ、いくら法律を改正して刑事罰を問う年齢を引き下げても犯罪の抑止力は働かない。病巣の原因は社会全体の教育力の低下にあるのだから。