Diary 2000. 12
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12月29日 (金)  仕事納め

昨日は,今年1年の仕事納め。前日の担当忘年会の飲みが効いて今日はとても飲めないと思っていた。例年,この日は仕事が終わったあと,ビールやジュースで乾杯してこの1年ご苦労さんとなるのだが,この日はウーロン茶を手にしていた。乾杯が終わったあと,書類を取りに前年まで所属していた総合政策課に行ったときも手渡されたビールも手をつけずに帰った。

でも,つい誘惑に負けてビールを手にしてからは,止まらなくなってしまった。福祉政策課長が「天誅」という薩摩焼酎を手にしてきたときもご相伴にあずかり,健康対策課の飲みが終了したときは,隣の医務薬事課で飲んでいた。これじゃまるで奴だ。

さらに,帰宅途中,総合政策課の連中が飲んでいると聞かされていた「八丈」にフラフラと入ってしまった。そこには前保健衛生課(現:健康対策課)長で総合政策課に異動していたK政策監もいて,いろいろと話をした。これは結構よかった。酒の良さはすぐに打ち解けて話せることだ。何度反省しても酒が止められないのは,酒のもつこういう利点があるからに他ならない。


12月26日 (火)  ブリザード

今日の秋田は地面から雪が舞い上がってくる「地吹雪」の世界だった。イブまでは暖かい天気だったのに、昨日、今日と雪が降っている。そして今日は、思わずアルペンのコマーシャルソングを口ずさみたくなるようなブリザード。年に何度かこういう天気になるときがあるけれど、昔に比べると随分と少なくなったようだ。先日も、朝日新聞に東京の真冬日が減ったという記事が載っていたが、地球温暖化の影響が出ているのだろうか。

こんな天気の中、娘がパスポートの申請に県庁に来た。春休みを利用してアメリカにホームステイに行くのだそうだ。違う文化を体験するのは良いことなので個人的には大賛成なのだが、両親すらまだ体験してないのに、度胸があるというか、向こう見ずというか、我が娘ながら感心してしまう。高校が募集して先生も一緒に行くというから、それほど不安はないが、メニューを見ると、ホームステイ先で日本料理をふるまうことになっている。自分の家ですらまともに料理を作ったことのない娘に果たしてできるのだろうか。これから、英語の他に料理の特訓が始まることになりそうだ。


12月20日 (水)  忘年会

昨日は,健康対策課の忘年会。当課が所管する河辺町のユフォーレで行われた。県庁からバスでほぼ1時間の道のりで,往復2時間も掛けての忘年会だった。健康増進施設だけあって,料理は健康を考えての質素な内容であった。確かにユフォーレの経営が苦しいのはわかる。何とか利用して手助けしたいという気持ちもわかる。でも,何も忘年会をやることはないと思うのだが。そもそも,健康増進施設というコンセプトと忘年会の趣旨は相反するのではないか。そんなことを考えていた。

市内に戻ってから,山王の「だいこんや」で飲み直し。そこで出された,「だだみの天ぷら」の何と旨かったこと。アツアツでトロ〜リと舌でとけて,まさに至福の一品。つい,冷め切ったユフォーレの料理と比較してしまった。そこでもついつい飲み過ぎてしまい,今日はまた二日酔いである。なんともまあ懲りない性格なのである。


12月17日 (日)  買物

今日の秋田は,12月にはめずらしく,とても良い天気だった。

そのせいか,どうか,妻と娘の買物の付添いドライバーで,一日,買物のお付き合い。朝,開店を待ちわびるように,「ユニクロ」に行き,「タケダスポーツ」,「サティ」,「秋田駅」,「イトーヨーカドー」,「西武」と回って,途中,実家に寄って,娘たちが置きっぱなしにしていた荷物を引き上げ,妹の家に寄って,姪っ子の誕生日祝いを届けるという具合。

年賀状の印刷の予定がすっかり狂ってしまった。今も,メールやネットをやっている裏側では,プリンターがうなり声をあげて年賀状を印刷している。まぁ,私も,ユニクロでチノパン,秋田駅のトピコで日本酒を買ったので,完全なる付添いだけではなかったのだが。

ところで,今日になって新車の後部左側にかすかなへこみがあるのを発見した。いつから凹んでいたのか見当もつかない。青空駐車はだからいやなのだ。ブツブツ。。。


12月16日 (土)  年賀状

今日は床屋さんに行ってサッパリしてから,一日年賀状に取り組んでいた。

我が家では,ここ数年は,定番の家族写真と,秋田を紹介する風景写真の2種類の年賀状を作成して,出す人によって使い分けている。以前はシールプリントにして年賀状に貼り付けていたのだが,デジカメ+パソコンでとっても楽になった。それに,いろいろとアレンジできるのが嬉しい。

旧知の間柄の人ならば,家族写真をもらうのは嬉しいものだ。子どもの成長ぶりもわかるし,年賀状が華やかになっていい。今年は約400枚。今日のところは宛名書きと,家族写真用のデザイン。明日あたりで印刷を終了して,一言コメントを書込んで投函することとしよう。


12月14日 (木)  娘の帰宅

月曜から娘2人が茨島の私の実家に泊まっていた。先週の積雪時にラッシュで学校に遅刻したこともあって,学校の期末試験の期間中だけでも,歩いていける実家に泊まることにしたのだった。

ひさしぶりの夫婦だけの生活だったが,子どもがいないと何となく会話がはずまない。月,火とパソコンに向かって年賀状を作成し,昨日は飲みに行ったため,夫婦だけになってもロクな会話をしていない。これまでの家族団欒に子どもが果たしてきた役割は大きいものがあると改めて思った。

もうすぐ,子どもが大学生にでもなれば,いやでも夫婦だけの生活が待っている。今のうち,そんな生活に慣れておかなければいけないなと実感した3日間だった。今日,期末テストを終えた娘たちは帰宅した。


12月12日 (火)  氷の世界

井上陽水に「氷の世界」というタイトルの歌があったが、今日の秋田はまさにそんな厳寒の世界である。まるで冷凍庫の中にいるようだ。さすが、執務室内は暖房が効いていて暖かいのだが、廊下に出るとヒンヤリとしている。外はさぞかし寒いのだろう。いつもなら、車のタイヤの摩擦熱で融けているはずの、アスファルト道路も真っ白のままである。当分はこんな天気が続きそうだ。

昨日から、年賀状の作成に取りかかった。いつものことながら、パソコンがフル稼働で活躍している。今回、プリンタのインクが切れて近くの生活雑貨店にいったら、エプソンの純正品が品切れで、聞いたこともないようなメーカーの代用品が安く売られていた。多少の不安を覚えながら買ってきたのだが、文字がかすれていて、いくらクリーニングしても直らない。果たしてプリンタのせいなのか、インクのせいなのか。プリンタも年期物だし、寝室に置いているので埃もかぶっているからなぁ。


12月10日 (日)  3県連携忘年会

昨日は,繋温泉で北東北3県の連携担当者の忘年会があった。現役だけではなく,OBまで呼んでくれたのには有り難かった。それぞれの県から自慢の地酒を持ちこんで,充分に堪能してきた。

秋田からは,「由利正宗純米大吟醸」「やまとしずく純米大吟醸」「刈穂出羽の雫」の3本。特に「由利正宗純米大吟醸」は,後藤酒店推奨の1本で,山田錦を35%まで削った大吟醸の逸品で,こんな機会でもなければ買って飲むこともないだろうなと,思えるほどの値段だった。でも美味しかったぁ。青森からは,前から飲みたいと思っていた「田酒特別純米」。思いのほかあっさりとした味だった。秋田の酒の方が美味しいなと思った。

来年の忘年会は秋田でやることになった。担当者が変わってもいつまでも続けられることを望みたい。


12月8日 (金)  お葬式

今日は葬式でした。ベルコ会館の用意した会場に入りきらないほどの沢山の弔問客であふれかえっていました。急遽,会場を広げても間に合わず,結局通路にも椅子を用意していました。現職の県庁職員の奥さんであり,3人の子どものPTA関係者のことも考えたら,会場側の読みが甘すぎるなぁと感じました。

同年代の女性が多く,会場のあちらこちらから,啜り泣きの声が洩れていました。とても,哀しいお葬式でした。そして,あまりにあっさりと,淡々と進行するので,びっくりしてしまいました。でも,あれだけ多くの人に見送られたのがせめてもの供養ですね。いつも顔をみているY子ちゃんに声を掛けたかったけれど,言葉が出なかった。

葬式が終わって,ABSのラジオ収録。「みんなの健康」という番組ですが,ラジオ収録なんて初めての経験で,スタジオに女性アナウンサーと向かい合って話すというシチュエーションに緊張してしまい,喉がカラカラに渇ききって,口が思うように回らない。もう一度録り直したいと思ったのですが,OKです,の声に,えーっこんなのが放送されるのって,思いました。絶対に人には聞いてもらいたくない。ああ,ビールでも飲みながらやれば良かった。


12月6日 (水)  友達の死

昨日の朝,RUMIKOから聞かされたのが,Fさんの奥さんが亡くなったという報せ。これには真底驚いた。全く予期していない,突然の訃報で,はっきり言って言葉もなかった。

Fさんと出会ったのは,今から20年近くも前のこと,湯沢でのことだった。ボクがRUMIKOと結婚して,湯沢の公舎に入ったとき,彼は独身で同じ世帯公舎に入っていた。1年後,彼も結婚した。同じ公舎で,年も近い若い夫婦同士ということで,どちらかというとRUMIKOとFさんの奥さん同士が仲良くなっていった。その年に,我が家に子どもが生まれ,半年後にFさんに子どもが生まれた。女の子同士で同じ学年だったこともあって,その後は家族ぐるみの付き合いとなった。湯沢から転勤した後も,ずっと同じ秋田市内の公舎に住んでいた。

一時,我が家が大館に住んで居た時期は離れていたが,秋田に戻ってからは,子どもが互いにバスケをやっていたこともあって,中学校は違っても大会となると顔を合わせていた。今年,我が家の娘とFさんの子どもが揃って,同じ高校に入学して,バスケットボール部に入った。子どもたちも幼なじみだったため,すぐに打ち解けていたようだった。

先日も,Fさんの娘さんを車に乗せて,学校から自宅まで送っていったとき,「お母さんたら,一人でスマップのコンサートに行くんだって。ひどいと思わない」と話していたことが思い出される。日曜日にも,中央地区の新人戦の応援に顔を見せていたという。その翌日の突然死。致死性不整脈だという。41歳のあまりに早すぎる死である。哀しすぎて言葉もない。


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