Diary 2003. 3
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3月24日 (月)  イラク戦争

アメリカ兵の捕虜の映像が映されてました。イラク側の反撃も激しくなってきたようです。アメリカ側の空爆の映像だけだと、どうも現実感がなくて戦争という切迫感がなかったのですが、こういう怪我をした捕虜の姿だとか死者の映像を見せられると、やはり生身の人間が戦っているんだと実感させられます。始まってしまった戦争を後戻りさせることは出来ないですから、できるだけ早く戦争を終結させて戦争による犠牲者を少なくしてほしい。いまの切なる願いです。それにしても人間ってどうして意味のない(としか思えない)殺し合い(戦争)をするんでしょうか。ほかの動物はしないのに。


3月22日 (土)  春到来

今日は暖かかったですね。昨日は実家で娘たちや姪っ子の卒業&進学祝い。一昨日はある方の退職送別会。その前の日は、また別の方の退職送別会。今年はお世話になった方の退職が多くて、3月に入ってから、コンスタントに週3回は飲み会が入っています。そろそろ、肝臓もピークかもしれない。今日は、久しぶりに床屋に行って来ました。何だか4月から、職場が写真入りの名札になるんだそうで、その写真を今度の月曜日に撮るんだそうです。まあ、今さら顔形をどうこうしようという気はさらさらないんですが、髪くらいはさっぱりしたほうが良いかと。

イラクの戦争が始まってしまいました。見てると一方的にアメリカが攻めているばかりで、イラク側の反撃がまるでない。これって本当に戦争?無抵抗な相手に一方的に攻撃を仕掛けているだけのように見えるのは私だけなんでしょうか。


3月13日 (木)  人事異動内示

今日、学術振興課というところに異動の内示がありました。健康対策課に来てから3年が経過していたので、今回の場合は異動の心積もりが出来ていたんだけれど、何年たってもドキドキするもんですね。まあ、学術振興課なら同じ庁内だし、総合政策課時代に少し関係のあることもやってて、まんざら知らない課でもないので、少しは気分が楽かな。今回は地方部の全面的な組織改正があって大幅な異動があったので、もしかしたら地方もありかなって思ってたけど、ちょっと一安心です。何しろ娘たちの大学入学(県外転出)とダブルパンチじゃ、やりくりが大変だったもの。

娘たちも無事大学入学の手続きを終え、住む場所も決めて今日戻ってきました。二人一緒のアパートに住むことが決まり、これも親としては一安心。一人暮らしよりは姉妹一緒のほうが何かと安全で安心だし、何よりも経済的です。それにしても、双子っていつまでも縁がきれないもんなんですね。

今日の歩数:10855歩


3月8日 (土)  もう3月です

あっという間に3月です。早いものです。

娘たちも1日に卒業式があり、無事に高校を卒業できました。
その日、家族ぐるみの友人から、大きな花束をいただき、めずらしく我が家は花であふれかえりました。花はいいもんですね。友人の思いやりも。卒業後の娘たちの進路もほぼ決まり、4月からは二人とも家を出て県外で暮らすことになりました。まだまだ子どもで心配なところもあるけれど、こうして大人になっていくんでしょう。自分のときもそうだったもの。時代は繰り返すんですね。

私自身も今年は現課が3年目で異動の時期です。異動の内示は13日。今度どんな仕事になるのか楽しみであるような、不安であるような。県外異動はすでに内示が出ていて、我が課から2人岩手県庁に出向になりました。こうして交流人事が進めば、自ずと連携も深まってきます。3県連携もこれからが楽しみ。


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