Diary 2004. 8
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8月29日 (日)  同窓会

今年の早稲田大学校友会秋田県支部総会は、能代市で昨日行われた。会場は同窓の金谷哲氏が代表社員を務める料亭「金勇」。秋田スギをふんだんに使ったその建物は、国の登録文化財に指定されているだけあって、それは素晴らしいものだった。とくに150畳の大広間の天井は畳と同じ大きさの天井板が4畳半分を1セットとして構成されていて、板目の見事な秋田スギであった。料理もそこそこ美味しかったし、たまに秋田を離れて他の場所でやるのもいいものだ。今回は秋田から貸切バスで出掛けたが、帰りが早かったせいか、秋田に着いてから川反のスナックで2次会とあいなった。これなら、もう少し能代に居ても良かったかな?


8月23日 (月)  女子マラソン

色々と代表選考で物議をかもした女子マラソンですが、見事野口が金メダル、土佐が5位、坂本が7位と代表が3人とも入賞するという五輪史上初の快挙でした。これで、日本陸連もホッと胸をなでおろしていることでしょう。中でも、野口の強さはすごかった。給水ポイントでは、同じ日本チームの土佐や坂本に自分が使ったスポンジや水を手渡ししていた。沿道の応援にはニコニコしながら微笑み返ししていた。どちらもよほど精神的にゆとりがないとできないことでしょう。暑さと起伏の激しいコースに、有力選手が次々とリタイアしていくという、史上稀に見るサバイバルレース。その中にあって、この野口の強さは本当に見事でした。最後、徐々にヌデレバに追い詰められる様子は、ヒヤヒヤさせられましたが、きちんと最後までリードを保って優勝する。まるで計算し尽くされたような見事な勝利でした。これで、日本の金メダルは13個目。いったいどこまで伸びることでしょう。


8月22日 (日)  優勝旗が津軽海峡を渡る

なかなか越えられなかった白河の関。それが一挙に津軽海峡を渡ってしまった。夏の甲子園大会で、駒澤大学苫小牧高校が北海道勢としては初の優勝を果たしました。本当に見事な戦いぶりで、あっぱれとしかいいようがない。こんなに打って打って打ちまくるチームは見ていて清々しさを感じます。打たれても必ず打ち返す。これまで、北海道・東北のチームは有力な投手を要して、守って勝つというパターンの高校が上位に進出していたんですが、全国制覇するためにはそれだけでは足りなくて、やはり打力が必要だということを改めて見せ付けられた試合でもありました。駒大苫小牧には本当におめでとうといいたい。そして、北海道の皆さんにも。それにつけても、早く東北地方の高校にも優勝してもらいたいものです。


8月18日 (水)  オリンピックに夢中

アテネオリンピックが始まってからというもの、オリンピックのテレビ中継に夢中です。柔道のやわらちゃんと野村の二人が男女アベック金メダルでスタートしたのは、前回のシドニーのときと一緒ですが、その後水泳の北嶋が続き、体操男子も続く。柔道も連日の金メダルとまさに日本のゴールドラッシュ。体操団体が金メダルを取ったのは、全然予想もしていなかっただけに、嬉しさを通り越して驚きですね。いつの間にこんなに強くなってたの日本は。水泳もその後メダル奪取が続いているし、昔日本がお家芸だった体操と水泳がアテネで完全復活というところでしょうか。この分だと、かなりの成績が残せそうです。楽しみ、楽しみ。


8月3日 (火)  暑さのせい?

最近ちょっと疲れ気味である。別に仕事が忙しいわけではない。これも暑さのせいだろうか。それとも飲み疲れ?

そういえば、最近は週末に家に居てのんびりするということがない。先の土日は北東北めぐみネットワークの会合が岩手県の遠野市であり、曲がり家に泊まって夜遅くまで仲間たちと飲みつ語り合った。その前の土日は、土曜日に栗駒山に登って、その夜、横手市で娘の大学の親の会に出席。深更まで横手市内を飲み歩き、翌日ゆっくりと秋田に戻った。土日に休めない日が続くと、結構身体に堪えるようになってきた。

今月の誕生日を迎えると47歳になるが、もう無理のきかない身体になったということかもしれない。今週末は身体を休める日としたい。ホームページの更新もたまっているし。


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