山懐に抱かれた小さな学校。協和中学はそんな学校だった。小さな学校というと県内の平均からすれば語弊があるのかもしれない。しかし,秋田市内の中学校に比べれば,やはり小さい。しかも学校のすぐ後ろが山である。いや,むしろ小高い山の中腹にたった学校という方が正確かもしれない。
ずっと町中の学校生活しか送ったことがない僕から見たら,こんな自然の中で学校生活が送れるのはとてもうらやましい。僕の学校生活は,廻りが住宅街で山にも畑にも田んぼにも無縁だった。唯一,高校だけが後ろに山があって自然があったのだが,今はそこもすっかりと住宅街に変化してしまった。都市化の波は,昔遊んだ山もどんどん飲み込んでいく。
僕は杉林が苦手である。なぜか,吸い込まれそうで,中に入り込んだら出られなくなってしまいそうな恐怖を感じる。大館に住んでいたときにすぐそばに杉林があった。住宅街のすぐ近くに杉林があるのが不思議でならなかったが,秋田県人の平均的感覚からすれば,僕の方が異常なのだろう。その杉林を通れば近道だとわかっていても,遠回りをしたものだった。協和中学の脇にも,鬱蒼とした杉林があった。ここの生徒に,僕のような恐怖感を説明するのは難しいかもしれない。
学校の入り口に,原田直友の「山から降りて来た人」という詩が掲示してあった。とても新鮮な気持ちにさせられた。子供の頃は,自分の廻りが世界の全てだった。大きくなるにつれて,それがすごく狭い世界であることに気付く。でも,大人の世界でも,ごくごく卑近の家族のことや会社のことで悩んでいる。大人も悩んだら山に登ればいいのだ。何か目が見開かれる気持ちがした。山登りが精神的にいいのは,一つにはこの詩で書かれているように,眺望がリラクゼーション効果をもたらすからなのかもしれない。
山から降りて来た人 原田直友 山から降りて来た人は みんな胸を大きく張って ゆったりしている どの顔も明るくかがやいて見える なぜだろう ぼくは今度山に登ってそれがわかった 頂上から眺めると となりの村が見える その向こうの町が見える 町の向こうに はてしない海が光って見える そしてぼくの村のなんと小さなこと あの手のひらのようなところで ぼくらはつまらないことにおこったりすねたり 喜んだり悲しんだりしていた それがなんだかばかげたことのように思えてくるのだ そして希望で胸がぐんとふくらんでくるのだ 太い鉄でも飲み込んだように どっかり腹もすわってくるのだ 山から降りて来た人は (ぼくもきっとそうにちがいない) ちょっとのことにはゆるがない 明るい顔でいつもにこにこ笑っている |