NO11 同僚の父の死  2000年4月16日(日)

 昨日,県南のO町に行った。現役町長の町葬に参列するためである。町長とは一面識もなかったが,長男のT君とは,1年間同じ職場で仕事をした仲間である。
 彼は,東京の大手シンクタンクに1年間派遣されたのち,昨年4月に同じ職場に配属された。まだ独身の彼は,いかにも今時の青年らしく,モバイル端末を操り,パソコンを駆使した仕事ぶりで,次代を担う若者という風情だった。
 6月,県南のO町で町長選挙があり,激しい選挙戦の末,現町長が誕生した。新聞報道で,出身地と姓が一緒だったこともあり,T君に今度当選したO町の町長はT君と関係があるの,と聞いたところ,「父です。」と,ポツリ一言答えた。あまりに飄々とした話し振りにあっけにとられてしまったが,それまで町長選挙のことなどオクビにも出さなかった,彼の態度に感心させられたものだった。
 そんな,彼の父の容体が急変したのが,3月15日だった。その日は,担当の送別会が予定されていた。ボクは娘の高校合格発表の日だったので,3時過ぎに休暇を取って,娘を連れて,合格発表を見に行き,直接送別会の会場に向かったのだが,その日の5時過ぎにT君の自宅から電話があって,T君は父親の入院先に向かったという。彼の父親が入院していたのは,それまで知らなかった。
 翌日から,ボクは盛岡,郡山と出張だったため,県庁には行かなかったが,用務を終え郡山駅から県庁に電話を掛けた。休んでいるとばかり思っていたT君が出勤していて,「父が回復したので県庁に出ています」と聞いた時,これで一安心だと思った。
 ところが,3月27日,また,容体が悪化したのだった。昼前にT君の母親から電話があった。たまたま,みんな食事に出ていたため,電話口に出たのはボクだった。とても慌てた口調でT君の取り次ぎを頼まれたが,生憎食事に出ている旨を伝えると,「父親の容体が急変したので至急帰るように伝えて欲しい」と頼まれた。それから,彼が戻るまで気が気でなかった。彼が食事から戻ったのを見て,すぐに家に帰るように話したが,彼の携帯にも食事中に電話があったらしく,ただ,「はい」と答えたのみで,仕事を続けていた。
 1時30分頃,再びT君の母親から電話があった。それは,彼の父の死を伝えるものだった。その後も彼は,黙々と仕事を続け,今年度中に決裁を受けなければならない20件ほどの起案文書を仕上げ,後処理をボクに託して,4時過ぎになって,亡くなった父の待つ実家に向かったのだった。
 もしボクが同じ立場だったらどうしただろう。今,抱えている仕事など投げ出しても,父のもとに向かったのではないか。そして,それが許される状況であったと思う。しかし,責任感のある彼は,そういうことはしなかった。確かに,彼が抱えていた仕事は,その時点では彼でなければ出来なかったし,彼に中途半端なまま行かれてしまったら,後々大変なことになっていたかもしれない。しかし,ボクは彼に対して申し訳ない気持ちで一杯だった。
 翌日,焼香をするため,職場の上司と一緒に彼の実家に向かった。そこで,彼の父親の遺体と,傍らの彼の母親の姿を見た時に,猛烈に後悔の念に襲われた。どうして,無理矢理にでも彼を帰してやれなかったのだろうと。電話を受けたとき,直ぐに伝えたとしても,父親の死に目には会えなかったかもしれない。でも,絶対に帰すべきだった。ボクは,彼の母親の顔をまともに見ることが出来なかった。
 昨日の葬式で,T君は実に立派だった。あんなにジーンとした,胸に詰まされた遺族挨拶は初めてだ。父に対する思いが,あれほど伝わった挨拶はこれまで聞いたことがない。会場に集まった,全員の涙を誘うものだった。
 彼には,早く幸せな結婚をして欲しいと,強く感じたのだった。

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