北信越の旅

(平成18年10月22日)


 日本工業大学後援会の理事会が、妙高高原の赤倉温泉で開催された。娘も4年生で今年が最後の理事会になるので、卒業記念に夫婦で参加することにした。理事会のあとは恒例の懇親会。各県支部から持ち込まれた地酒がテーブルに所狭しと立ち並ぶ。時間も忘れて各県の理事の方々と交流に努めた。理事会の翌日は、観光バスによる北信越観光に参加した。


いもり池から妙高山を望む

 妙高高原は新潟県にあり、一帯は上信越高原国立公園に指定されている。妙高高原のシンボル的存在は、深田久弥の日本百名山にも選ばれている標高2454mの妙高山。その妙高山がもっとも良く見える場所として、人気のスポットなのが池の平温泉近くにある「いもり池」である。紅葉には少し早かったが、この日も多くの観光客で賑わっていた。天気も快晴で、いもり池には妙高山がくっきりと映し出されていた。


どんぐりの雪合戦

 いもり池に隣接した場所に設置されているビジターセンターには、妙高高原の四季折々の自然が展示されている。その入り口に展示されていたのが、どんぐりで作られた雪合戦の模型だった。あまりに良く出来ているので、思わずシャッターを切った。


野生猿と温泉

 次に訪れたのは、野生の猿が温泉に入ることで有名な長野県の地獄谷温泉。観光バスは手前の上林(かんばやし)温泉までで、そこから野生の猿がいる地獄谷野猿公苑までは、山道を30分ばかり歩かなければならない。500円の入場料を払って中に入ると、居るわ、居るわ、そこいらじゅうに野生の猿がたむろしている。一番奥に、猿専用の温泉があった。係員の合図(たぶん餌による誘導)で、猿たちが一斉に温泉に飛びこみ始めた。それとともに見物客も一斉に温泉の周りに集まって、カメラのシャッターを切る。


籠のなかの猿

 なかには、温泉ではなく川の真ん中に吊り下げられたバケツの中に、ちょこんと納まっている猿もいる。これも餌による誘導なのだろうが、あまりの可愛らしさに道行く女性たちの歓声を浴びていた。


上林ホテル 仙壽閣

 地獄谷温泉から戻り、昼食をいただいたのが「上林ホテル 仙壽閣」。ここは、皇太子も来たことがある由緒ある宿である。ここの昼食は懐石風コース料理で、一品一品の料理は少量で上品なのだが、何しろ品数が多くて最後には満腹で大変であった。ご飯の前に蕎麦が出たのだが、同行した学長の「蕎麦で終わっても誰も文句は言いません」の一言には、皆さん納得だった。


親鸞和尚と善光寺

 最後に訪れたのは、長野市の善光寺。この日の善光寺は、多くの参拝客でごった返していた。本尊の一光三尊阿弥陀如来が祀られている本堂の内陣は、混雑していて見学に30分ほど時間がかかるという。帰りの時刻まであまり間がなかったので、内陣手前で参拝して済ませることにした。
 「善光寺縁起」によれば、一光三尊阿弥陀如来は、インドから朝鮮半島百済国へと渡り、552年仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれている。一度は、廃仏派の物部氏によって難波の堀江へ打ち捨てられたが、後に信濃国司の従者として都に上った本田善光が信濃の国へ連れ帰り、飯田の地に祀ったのち、642年現在の地に遷座、644年に伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられたという。
 本堂の前には、浄土真宗の創始者「親鸞和尚」の像が建てられていた。浄土教の寺院として全国に名を馳せていた善光寺に、親鸞も参拝に訪れていたのだそうだ。善光寺の歴史の重さを感じる。


善光寺境内

 本堂は創建以来11度の火災にあい、現在の建物は宝永四年(1707年)の再建で、江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されている。本堂の隣にある重要文化財の経蔵は、宝暦九年(1759年)に建立された宝形造りのお堂である。その前に団体観光客用の記念撮影場所が設けられていて、この日も何組もの団体の撮影が行われていた。私たちも真似して写真を撮ってみる。


牛に引かれて善光寺?

 北門近くの庭園に牛(ホルスタイン?)の置物が2頭置かれていた。名を善子さん、光子さんという。2頭合わせて善光さん。「牛に引かれて善光寺参り」の故事に引っ掛けて作られたもののようだが、これは少しやりすぎではないか。どうせ作るのなら、ホルスタインではなく、和牛にしてもらいたかったものだ。


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