近江石山寺

(平成15年2月7日)


 滋賀県は京都、大阪、奈良に行くときは必ず通過する場所なのだが、なかなか降り立つ機会はないものだ。今回、せっかく大津で健康日本21の全国大会が開かれるのだから、近くの名所旧跡を訪ねてみたかった。そこで選んだのが西国三十三所霊場の第十三番札所「石山寺」である。
 石山寺の歴史は古く、747年(天平19年)の開基とされる。その後、平安中期に聖宝が真言宗に改め、淳祐が堂宇を再興して以降、広く観音霊場として信仰を集めるようになり、王朝の貴紳や女人が石山詣を行ったという。紫式部もここで源氏物語の着想を得たという。鎌倉時代から江戸時代にわたって描かれた「石山寺縁起」という絵巻物でも有名な寺である。


東大門

 京阪電鉄石山寺駅から川畔の道を石山寺方向へ歩く。途中、旅館や料亭、土産物屋が軒を連ねているが、古い歴史を感じさせる料亭が店を閉じて寂れるままに建物が残されていた。こんなところにも景気の余波が訪れてしまったのだろうか。駅を出て10分ほどで石山寺正門の「東大門」に着く。入母屋造りで本瓦葺きの屋根が美しい。


本堂・紫式部源氏の間

 国宝の本堂には、紫式部が源氏物語を執筆したという言い伝えが残る「源氏の間」がある。中には紫式部像が置かれてあり、何やら巻紙に文字をしたためているが、妙になまめかしく印象に残る像である。この紫式部像がすでに江戸時代からあったというから同じ伝承でも歴史の重さを感じる。


多宝塔

 国宝の多宝塔。1194年(建久5年)に源頼朝の寄進により建立された。非常に美しい建物で、国内屈指の多宝塔と評されている。周囲をぐるりと回ると無数の落書が建物に刻まれていた。それも最近のものが多い。国宝の建物に落書をする日本人の文化度の低さには落胆させられた。


心経堂

 梅園に梅が咲いているかと思い山の上に上ったが、季節が少し早かったようだった。代わりに心経堂の前に咲いていた山茶花の花が綺麗だった。


鐘楼

 天然記念物の珪灰石の巨岩の脇にある石段を登っていったところにあるのが、珍しい形をした鐘楼で、下の部分が白く塗られた袴腰になっている。屋根から袴腰に掛けての曲線のシルエットがとても美しい。これは鎌倉後期の建築と推定されている。釣鐘も古色を帯び音色がよいそうだが、残念ながら聞くことはできなかった。


珪灰石

 本堂に向かって境内に上ると目の前に現れるのが、珪灰石の巨岩。石山寺の寺名もこの石に由来する。珪灰石は、石灰石が花崗岩の熱作用を受けて変成した岩石で、おもにカルシウムと珪酸塩鉱物から成るが、石山寺のように川畔の平坦地に大きな褶曲をなし、奇怪な姿を盛り上がらせている例はほとんどないことから、国の天然記念物に指定されている。ちょうど、この珪灰石の奇岩の上に国宝の多宝塔が見える。
 石山寺は花の寺としても有名なのだが、この季節は山茶花と椿くらいしか咲いていなかった。今度来るときはもっと花の咲いている時期がいいかもしれない。


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