盛岡城跡と戦争の狂気

(平成11年8月27日)

  不来方のお城の草に寝ころびて
  空に吸はれし
  十五の心

 少年時代の啄木が学校の窓から逃げ出して来て,文学書,哲学書を読みふけり,白日の夢を結んだ盛岡城二の丸跡に,友人金田一京助書の歌碑が立てられている。
 歌碑に刻まれているのは,歌集「一握の砂」に収められている,この有名な歌。啄木は盛岡城址公園の近く,盛岡中学に通っていた。その当時を回想した歌が数多く詠まれているが,その中の一つ,啄木にしてはめずらしく,とてもさわやかな歌だ。

不来方城址
 盛岡は今年になって3度目の出張になるが,これまでは会議の時間に合わせての日帰り出張で,市内を見る機会がなかった。今回初めて,宿泊付きの出張だったので,空き時間を利用して,雨にもかかわらず,市内散策をした。映画を見るという同僚と別れ,一人岩手公園を訪れた。
 平日の午前中で,しかも雨とあってか,人の姿もまばらだった。晴れていたら,寝ころがって,青空を見るのも,さぞ気持ちのいいことだろうと,在りし日の少年啄木のことを思う。
 東屋のベンチには,「今日はじめて学校をさぼってここに来ました」という落書きがあった。いるいる,ここにも啄木が。今も昔も変わらない。

銅像台座
 本丸跡に奇妙な台座が置かれていた。案内板を見ると,かつてこの台座の上には,下の写真のような銅像が置かれていたという。日露戦争で戦死した南部42代当主南部利春の雄姿を,後世に残そうと募金が集められ,建てられたものだという。その立派な銅像も,太平洋戦争末期の昭和19年に撤去され,軍需品として使用された。
 その後,再建されることもなく台座だけがポツンと残されたままとなっている。美術品としても価値の高い銅像を撤去しなければならないほど物資が乏しくなって,戦争など続けられるはずがない。当時,そんなことすら気がつかなかったのか。まさに狂気の沙汰だ。渋谷駅前の忠犬ハチ公の銅像も同じ憂き目にあったが,そちらは再建されている。同じ銅像でも運,不運があるものだ。しかし,この主なく残された台座が,太平洋戦争の狂気を見事に物語っていて,これはこのままであってほしい。

木村雅彦(平成11年8月28日)
銅像案内板