京都散歩 3

(平成17年9月17日〜19日)

1 三十三間堂〜智積院
2 嵯峨野・嵐山(天竜寺〜常寂光寺〜渡月橋〜広隆寺)
3 二条城


 京都も3日目。今日は午前中だけ京都観光して新幹線で帰路につく。そこで宿にも近く、ちょうど本丸御殿が特別公開されているという二条城を選んだ。


二条城唐門

 二条城は、東西500メートル、南北400メートルの広大な敷地に深い堀を巡らし、高い石垣で守られた平城で、1603年、徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛のときの宿泊所として造営し、3代将軍家光により、伏見城の遺構を移すなどして、本丸、二の丸、天守閣が完成し、現在の規模となった。ただし、当時の建物が残っているのは二の丸御殿だけで、天守閣と本丸は焼失し、今ある本丸御殿は明治期に京都御苑内にあった旧桂宮邸の御殿を移築したものである。


二条城二の丸御殿(正面)

 二の丸御殿は、桃山時代武家風書院造りの代表的なもので、御車寄に続いて遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟が雁行に立ち並んでいる。建物内の襖絵はいずれも狩野派の手によるもので、部屋の目的に応じて描かれている。この二条城は、徳川将軍の居宅であるが、3代将軍家光以降は徳川将軍が入城することなく長い期間を過ごした。幕末の変動期になって、14代将軍家茂が230年ぶりに入城し、15代将軍の慶喜はこの地で1866年将軍職を継ぎ、翌年、大政奉還によって徳川幕府の幕を閉じている。二条城が歴史の舞台に登場するのは、ほんの一瞬間に過ぎないが、徳川幕府終焉の地として、多くの人に知られるところとなった。


二条城二の丸御殿(二の丸庭園側から)

 写真は、二の丸庭園側から大広間、式台、遠侍の3つの建物を撮影したものだが、広大な建物はとても全景を写し撮ることができない。ちょうど、これらの建物の廊下が鴬張りとなっていて、歩くと「きゅっ、きゅっ」という音が鳴る。また、大広間の一の間・二の間は慶喜が諸大名を集めて大政奉還を発表した歴史的な部屋でもある。


二条城本丸御殿

 二の丸庭園から内堀を渡り、高い石垣の間を抜けると本丸がある。ここには、二の丸御殿に匹敵する本丸御殿が建築され、五層の天守閣も聳えていたが、1750年に落雷のため天守閣が焼失、その後1788年に市内の大火によって本丸御殿も焼失してしまった。現在ある本丸御殿は、京都御所内にあった旧桂宮邸の御殿を移築したものである。この建物は、1847年の建築で宮御殿の遺構としては完全な形で残されている唯一のものとして重要文化財に指定されている。この建物が京都御所内にあったときは、皇女和宮が一時住んでいたり、孝明天皇の仮住まいとなったりと由緒正しき建物である。建築的には、屋根のカーブが上にふくらんでいるのが特徴的で、とてもめずらしい。


 今回の京都旅行は、寺社仏閣を中心にゆっくりと歩いたつもりだが、嵯峨野を歩いたり、大寺院の境内を歩いたりと、70歳台後半になる義母にはちょっとつらかったかもしれない。そのため、2日間とも午後2時過ぎにはホテルに戻り、夜の食事までのあいだのんびりしてもらった。京都には色々な楽しみ方があると思うが、ボクには長い歴史を肌で感じながら時空を旅するスタイルが理想である。


1 三十三間堂〜智積院
2 嵯峨野・嵐山(天竜寺〜常寂光寺〜渡月橋〜広隆寺)
3 二条城

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