名古屋城とグルメ旅

(平成12年3月23日〜25日)

 3月23日。明日,岐阜市で開かれる「社会資本整備推進地方連合」の研修会に出席するため,午後から出張だったが,知事検討など,抱えている仕事をこなすため,通常通り,県庁に出勤した。
 出勤後,秘書課に連絡し,知事の日程を確認する。10時30分から30分の日程を確保し,次長,課長に知事検討の内容をレクチャーする。ついでに,水資源や雪対策の業務が,今度行政改革の一環で,当課から移管されることの問題点を協議し,今後の対策を練る。
 協議を終え,自分の席に戻ったら,庶務担当から,今年度の出張リストをプリントアウトしたものが手渡され,正しいかどうか確認してくれという。食糧費の不正支出問題以降,特に旅費には神経を尖らせているので,旅費支出には慎重にならざるをえない。
 リストを見たら,私の今年度の出張回数は39回,金額にして98万5千円余りとなっていた。回数では,課中第2位(1位は43回),金額ではダントツの第1位であった。それにしても,よく出張したものだと思う。出張の大半が県外だったが,こんなに出張が多かったのは県庁に入って初めてだった。
 確認後,30日に予定している,バーチャル・エキスポの企画コンペ説明会の案内文書の作成,青森,岩手の担当者に,FAXとメールで連絡,財政課の担当者と,バーチャル・エキスポの総額予算の検討,途中,知事検討をはさみ,出張中の業務の指示などを終えて,午後1時に県庁を出た。
 名古屋便が3月から復活してくれたのは良かったが,午後の1往復しかないのは,あまりに不便だ。これが,午前中の便だったら,明日午後からの会議に,何も前日から行く必要はなかったのだ。

 名古屋に到着し,リムジンバスで名古屋駅まで向かう。名古屋は雨だった。駅からタクシーに乗って,ホテル(東横イン名古屋丸の内)まで行ってくれと頼む。ここでいいですかと,降ろされたのが,東急インの前。「えっ,ホテルが違うじゃない。」と言ったが,もう後の祭り。タクシーは当の昔に,立ち去ってしまったのだった。しょうがなく,ホテルの地図を見ながら,重い荷物を抱え,雨の中歩いたのだった。なんてついてないんだろう。
 自治大の仲間が懇親会を予定してくれたので,待ち合わせ場所に向かう。全国どこへ行っても,飲み仲間が居るというのは,大きな財産だ。今日は,名古屋の新たな名物となりつつある,手羽先のから揚げの店「風来坊」に案内された。名古屋といえば,「名古屋コーチン」が有名だが,これもコーチンの手羽先なのだろうか。普通,ニワトリの手羽先といえば,人間の手の平くらいの大きさで,ボリウムがあるのだが,この店の手羽先は一口サイズの何ともかわいらしいものだった。ゴマ風味で甘辛く味付けされており,酒のつまみというよりは,オヤツにふさわしいような印象を持った。名古屋コーチンの焼き肉も注文したが,こちらも味付けが甘かった。肉はしまってとても美味しかったが,味付けがちょっと合わなかった。
 2次会は地酒の店に案内される。地元の造り酒屋の御曹司と一緒だったが,案内された店に地元愛知の酒は置いていなかった。秋田ではちょっと考えられない光景だ。秋田なら,飲み屋はもちろんのこと,一般の酒屋でも県外の酒を置いてあることの方がめずらしいのに。

 翌日,午前中の空時間を利用して,名古屋城を見学した。ホテルから歩いてすぐの場所に名古屋城はあった。ちょうど,梅が綺麗に咲いていた。半分散り掛けていたので,最後の梅見だったのかもしれない。梅林を前景に名古屋城の天守閣を望む。ここが,写真撮影のポイントになっているらしく,写真屋も待機していたが,平日でしかも寒い日だったせいか,人影もまばらで,記念写真を撮る人もいなかった。

 青空に紅梅が映えてとても美しい。名古屋城は,梅林も結構充実しているが,これから桜の季節を迎える露払いのように,ひっそりとではあるが,しっかりと自己主張して咲いているのであった。

 「尾張名古屋は城でもつ」とよく言われるが,姿の美しい,しかもとても大きなお城である。名物の金のしゃちほこが違和感を覚えるほど光って見える。名古屋城は太平洋戦争による戦災で延焼したため,戦後の再建になるのだが,本丸に旧国宝の屋敷跡があって,再建のための募金活動も行われていた。戦争が終わって50年以上になるが,いまだその爪痕は大きい。

 岐阜での研修会に出席した後,再び名古屋に戻って来た。今晩は,自治大同期の名古屋市役所の三島さんに案内されて,錦町の「以ば昇」という鰻屋さんに入る。ここの名物は「櫃まぶし」といって,お櫃ご飯の上に鰻を小さく切ってのせ,たれをかけたもの。普通に食べれば,ウナ丼と変わらないが,食べ方が違うのだった。お櫃からご飯茶碗によそっていただくのだが,3回に分けて食べるのだという。まず最初は普通に食べる。2回目は,刻みネギとワサビを混ぜて食べる。3回目は,刻みネギとワサビを混ぜた上にたれをかけ,さらに番茶をかけてお茶漬けにして食べるのだ。鰻茶漬けとは何て贅沢な食べ方なんだろう。これがとても美味しい。鰻にこんな食べ方があったとは,40年以上も生きていて,まだまだ知らないことが沢山あるのだと実感した。
 翌日は,同じく自治大同期の天埜さんの実家である,天埜酒造にお邪魔し,美酒に酔いしれたのだが,その模様は別に紹介したい。 
木村雅彦(平成12年3月26日)