阿波徳島の旅

(平成17年5月25日〜27日)


 文部科学省主催の「地域科学技術振興会議」が四国の徳島市で開催された。四国には何故か縁があって、今回が4回目の訪問となる。徳島県には、確か昭和62年か63年頃、大鳴門橋や大歩危・小歩危、祖谷のかずら橋などを見たことがあったが、徳島市に行くのは今回が初めてのことである。


竜王さんのクス

 会議の場所が駅と直結したJR系列のホテルだったので、宿泊も同じ場所を手配した。駅の裏側に江戸時代の藩主蜂須賀氏が居城を構えていた城山(中央公園)がある。そこにあった巨大なクスの倒木。「竜王さんのクス」と呼ばれているらしい。城山にはクスノキが多いが、中でも最大のものがこのクスノキである。推定樹齢が600年くらい。残念ながら昭和9年(1934年)の室戸台風で倒れてしまったそうだ。それでもこの巨木の存在感は他を圧している。ここの近くに竜王神社があったことから「竜王さんのクス」と呼ばれるようになったが、竜王神社は明治8年(1875年)徳島城取り壊しのとき、眉山の麓にある国端彦神社に合祀されたため、今ここにはない。


原生林の森「城山」から眉山を望む

 城山は、今も広葉樹の原生林が残る自然の宝庫である。県庁所在地の町の真ん中にあって、今なおこのような形で原生林が残されているというのは、奇跡のようなことである。山頂から市内、眉山方面を眺める。江戸時代には殿様も同じ様な風景を眺めたことだろう。ビルではなく低層の屋敷の家並みが連なっている風景を思い浮かべながら、しばし時空の旅を試みるのもまた楽しい。


中央公園のクスノキ

 中央公園内にある藩祖蜂須賀家政公の銅像に覆い被さるように生えていたクスノキ。この木も大きいものだった。蜂須賀家政は、秀吉の墨俣一夜城築城などで有名な蜂須賀正勝(小六)の子で、秀吉の天下平定に大功があったことにより、阿波一国を賜った。入国後、藍や塩などの産業を興し、その後明治維新の廃藩置県まで、豊かな徳島の発展のもとを作った人物である。


眉山から市内を眺望する

 眉山(びざん)は、駅から歩いて15分ばかりのところにある。麓から標高290メートルの山頂までロープウェイで登ることができる。山頂には展望台のほか、テレビ塔なども建っていて、一帯が公園として整備されていた。山頂からの眺望はさすがに素晴らしい。眼前にこんもりと見える緑の丘は、先ほど訪れた城山、その奥に大きな流れを見せているのは四国三郎と称される吉野川、さらに海をはさんで淡路島の山並みも見える。


眉山から市内を眺望する

 目を転じて県庁方面を眺めてみる。新町川を挟んで両側に徳島の市街が広がっている。明治22年の市制施行というから、日本で最初に誕生した市の一つである。当時は人口6万人で全国10番目の規模だったそうだ。蜂須賀治世の城下町として繁栄した様子が伺える。現在は人口26万人の都市となっている。一太郎のジャストシステムとか、青色発光ダイオードの日亜化学工業など、キラリと輝く地元企業を輩出している地方都市でもある。


眉山の名の元となった船王の歌碑

 「眉のごと雲居に見ゆる阿波の山 かけて漕ぐ舟とまり知らずも」。万葉集に詠まれた船王の歌が、この眉山の名前の元にになっているが、その歌碑が眉山山頂に建っている。その姿が眉のように見えるとあるように、なだらかな山容をした山である。(次ページへ続く。)


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