夕張出張旅行

2008年5月30日
 財政破綻したまち夕張市に、その財政再建の取組状況を視察に行ってきた。夕張は炭抗で栄えたまちで、往時は12万人を超える人口をかかえていた。それが、相次ぐ炭抗の閉山で、現在は人口が1万2千人を切るまでに至った。何と10分の1以下にまで人口が減った超過疎のまちなのである。この急激な人口減少に伴い、地方交付税や地方税などの財政収入も急激に減少し、市の歳出規模縮小が追い付いていけず、財政破綻を招いた一因となっている。
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 夕張は沢筋に町が連なり、街中の平野部は極端に少ない。そのためか、農業生産額の96%をメロン農家が占めるという極端な産業構造を示している。そのメロン農家も主に南部に位置し、市役所がある北部は、北炭炭抗の跡を開発した観光レジャー施設が立ち並ぶ。
 閑散とした通りに古い映画の看板が立ち並ぶが、ここはシネマ通りと名付けられている。といって映画館があるわけではなく、ただ看板が並んでいるだけなのだが。元市長が映画好きで、このようなものを設置したらしい。その市長は、様々な観光レジャー施設の開発も手掛け、そのツケが財政破綻を招いたといっても過言ではない。
 市役所を訪問したあと、観光施設の中心である「石炭博物館」を訪れた。ここは、北炭炭抗跡を観光施設化したものであるが、平日とはいえ観光客は我々以外は全くいなかった。5月下旬なのに気温も低く、寒々とした風景が寒さを一層増してくるようだった。
 博物館の中には、黒いダイヤと呼ばれた石炭の原石が展示されていたが、なぜか巨大なアンモナイトの化石もある。ここには、別に化石館という施設もあって、石炭産出に伴って、化石も多く発掘されたものと思われる。
 炭抗跡はそのまま観光坑道になっていて、人形や作業機械が展示されていた。人形の姿形が妙にリアルで怖い。ここの説明用アナウンスを流すと、映画好きの元市長の声が流れてくる。芝居がかったことが好きな市長だったようだ。
 石炭博物館を出ると、炭抗発掘のキッカケとなった、巨大な石炭の大露頭があった。これは北海道指定の天然記念物となっている。石炭博物館に併設される形で、ロボット科学館という施設もあったが、イベントでもない限り、ここは休館されているようだ。
 夕張駅前にあるホテルレイスイ。ちょうど猫バスが止まっていた。ホテルレイスイはスキー場に直結したホテルで、バブル期に民間が開発したものだが、民間が撤退したあと、夕張市が買収して経営を委託している。夕張市は、このような観光ホテルを二つも抱えており、その負担も財政破綻に大きく影響している。夕張駅はレールがちょうどここで止まっている終着駅だ。駅にも、ホテルにも人影はまったくない。本当に夕張市内で人の姿を見るのは稀なことである。
 夕張市の迎賓館「旧北炭鹿ノ谷倶楽部」。ここには、北海道国体が開催されたとき、昭和天皇・皇后両陛下が宿泊されたそうだ。その宿泊された部屋が今も残されている。
 夕張市といえば、高倉健、武田鉄矢、桃井かおり、倍賞千恵子らが出演した映画「幸せの黄色いハンカチ」のロケ地として有名だ。その映画の中で、倍賞千恵子が黄色いハンカチを掲げて高倉健の帰りを待つ炭抗住宅が、幸せの黄色いハンカチ記念館として公開されていた。ここには、映画に登場する赤いファミリアがそのまま展示されている。また、壁や天井には、おびただしい数の応援メッセージが張られていた。
 武田鉄矢や桃井かおりが映画の中で着用していた靴や帽子、手袋、サングラスなども展示されていて、ファンにはたまらないだろう。この映画が封切りされたのは今から30年前のことになるが、同行したメンバーで、この映画を直接封切り時に見ていたのは私だけであった。
 黄色いハンカチは、夕張のシンボル的存在になっているが、ここにあるハンカチが本家本元である。
 ここも、観光客は我々だけだった。このあと札幌市に向かったが、1時間半ほどで到着した札幌は人であふれかえっていた。同じ道内でこの落差。日本が抱えている格差社会の現状を垣間見るようであった。
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