平成25年度 第22回定例会
「横手ラウンド」

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開催日:平成25年7月6日(土)
場所:横手市上畑温泉「さわらび」
参加者名簿  
【報告】
「県外からの被災者の受入の課題について」
  秋田県被災者受入支援室
          前室長 高橋 修氏


3.11の大震災後、直ちに被災者の秋田県の受入の責任者となり、今年の3月まで秋田県の被災者受入支援室長を務めた高橋さんに話を伺った。

今回の県外からの避難者の特徴は、福島県からの要請に基づき、災害救助法による広域避難支援要請に基づくものであったこと、その枠組みの中で、秋田県は2次避難場所として指定されたことが挙げられる。

秋田県では、旅館・ホテルが避難所として利用できるよう準備を進めていたが、事業者側の受入態勢が整ったにもかかわらず、秋田県内への避難者の受け入れが遅々として進まず、マスコミや事業者の方から、行政の取組の遅さが随分と非難された。しかし、今回の震災は津波により家族が行方不明になる方が多くいて、遺体が見つかるまで被災地を離れたくないという被災者の心情を考えると、一概に県外に避難するという選択肢を選べないという状況があった。

仮設住宅については、2Kを設置するために500万円くらいかかり、さらに撤去費がかかる。そのため、秋田県では建設型の仮設住宅ではなく、アパートを借り上げしてみなし仮設住宅とした。この方式だと200万円以下の金額で準備ができる。問題としては、建設型の仮設住宅に比べ、被災者が散らばってしまい被災者同士のコミュニティができにくいことがある。

災害救助法で、厚生労働省が掲げる「最低限の支援物資」として、茶碗やほうきは支援物資とみなされるが、掃除機やテーブル、家電系は支援物資に含まれなかった。これらの物資は民間団体が援助していたが、現在の生活水準から考えると乖離しているように感じる。

今回の震災では、被災県によって対応に差があり、支援する側もそれを理解して取り組む必要があった。岩手県は、内陸部の被害がなかったこともあり基本的に県内で支えるスタンスで、他県に避難した方は岩手との生活に差が出ても致し方ないという認識。宮城県は、1泊2日のリフレッシュ受け入れでもして欲しいというスタンス。福島県は、行政として機能しておらず、他県に依頼している時間すらない状況だった。

避難が長引くにつれ、住民票のない避難者にどこまで住民サービスの提供が可能か、例えば、福祉や保健、教育、各種免許の分野で従来の法律の枠組みでは、不都合なケースが多々起こってきた。そのため、原発避難者事務処理特例法ができ、住民票を移さなくても行政サービスを受けられるようになったが、対象者は原発の避難対象になっている方に限定され、自主避難されている方は除かれている。今後、大規模災害の際、大きな課題である。

また、首都圏以西の都道府県では、移住を前提とした取り組みが盛んに行われていたようだが、秋田県の場合、心情的に、同じ東北の県として、移住ではなくあくまで一時避難としていつでも帰還できるという姿勢を貫いた。

最後に、前例のない何から何まで異例づくめの仕事の連続で苦労も多かった。しかし、役人というのは人を救うことが一番であり、この職について2年、役人冥利につきたと思うと話されていたのが、とても印象的だった。
【講話】
「あきた十文字映画祭の取組について」
  あきた十文字映画祭実行委員会
           代表 小川 孝行氏


今年で22回の開催を数える「あきた十文字映画祭」。当初からその実行委員会の代表を務める小川さんに話を伺った。

今年2月に開催された第22回映画祭では、地元中学生が一本の映画をプロデュースしたのだが、その中学生たちを一か月にわたって密着取材した番組がBSの日本映画専門チャンネルで取り上げられ、その録画放送を中心に講話が進められた。実行委員に指導を受けながらも、映画選びから放映、トークと、少しずつ成長しながら映画放映を成功に導く様子はまさに感動モノであった。

映画祭を運営する際、スタッフにはプログラムの作成、写真の手配、ゲストの出入り、切符の手配、ゲストが帰るまで、1本全てを担当してもらう。今年の映画祭では、これを地元中学生にやってもらう企画をたてた。かなり大変だったと思うが、来年も参加したいといってくれるか期待している。

そもそも映画祭の基盤になったのは、十文字町役場の青年たちで構成された自主映画サークルの活動。当時はビデオ全盛時代で、町内や近隣に映画館も無くなり、映画本来の大きなスクリーンで迫力ある映画を鑑賞できなくなっていた。何とか自分たちの力で映画を町に持ってきて、町の人たちと一緒に大好きな映画を楽しみたい、そんな思いが映画祭開催のきっかけになった。

「元気のない日本映画を地方から応援する」ことを目標に掲げ、県内ではなかなか目にする機会のない日本映画の話題作上映を中心に、今後の映画界を担っていく映像作家を発掘し、紹介する意味で新人監督の上映に力を入れてきた。また、「近くて遠い国」と言われるアジアの芸術文化や社会状況を映画を通して知り、少しでも理解されるきっかけになればとの思いから、アジア映画の上映も積極的に取り入れてきた。

何年も同じ企画をしていると、行政は支援をしてくれなくなる。手をかえ品をかえ、これまで継続してきた。たとえば、日本では毎年600本ほど映画が製作されていても、実際銀幕に上映されるのは100本くらい。大々的に出てこない若手の監督のものを上映しようという企画をおこした。グランプリを取った人ではなく、1位ではない優秀な監督を招いて上映会をしたこともあった。今は、実際は第2世代が動かしているが、資金が少ないこと、集客には苦労している。

見た目、いかにも映画好きのお洒落なオヤジといった雰囲気の小川さん。この映画祭が地域おこしだとよく言われるが、私としては好きなことを、好きな人たちがやる、サークル活動のようなものだと思っている。何より、楽しんでいたいという気持ちがないと続いていかない。以前、増田町長が東京にぶどうの商談に行ったところ、十文字町の話になり、「十文字映画祭の町ですか」と相手先の担当者に言われたという。経済波及効果は少ないかもしれないが、年に1回でも県内外から人が集まる、めったに会えない映画監督会える機会がある町に住んでいるという誇り、そんなことが元気のもとになっているのかもしれない。

また、十文字映画祭は、毎年2月の厳寒期に開催している。アンケートでは、交通の便がよい時期にやってほしいと毎年のように書かれ続けているが、娯楽の少ない冬の開催にこだわっているそうだ。横手市の冬まつりは、かまくら祭りがよく知られるが、十文字映画祭は、毎年かまくらの直前に行われている。これも一つのこだわりである。

【質疑応答】
菊地さん(青森県)
十文字映画祭が長く継続できている秘訣はなにか。

小川さん
来るものは拒まず去るものは追わず、でやっている。誰にでも得手不得手はあるが、参加者には、とにかく何でもやってもらってみて、自分ができること、好きなことを見つけてもらえていると思う。結局、最終的に映画祭が好きな人が実行委員会に残っており、好きなことに対しては、みんな頑張れるので、それが長く継続できる秘訣になるかと思う。
【講話】
「増田のくらしっくロードのまちなみと歴史」
  増田蔵の会 会長 佐藤 譲治氏
 

増田蔵の会とは、今なお横手市増田町に数多く残る、明治から昭和初期に建てられた豪勢な蔵の所有者の会である。その会長を務める佐藤氏は、「まんさくの花」の酒銘で知られる地元の酒蔵「日の丸醸造」の社長さん。都市銀行の銀行マンから、十数年前に家業を継ぐために増田に戻ってきたそうだ。

増田の蔵の特徴は、蔵の多くが内蔵であり、外からはその存在がわからないこと。そのため、つい最近まで周りから注目されることはなかった。そのような中、町内の小学校の廃校が続き、増田の地域おこしの方策を探るため、増田を歩いて観る会が発足、増田の町並みを調査したところ、どうやら蔵が沢山あるようだと気づき、地域の特色として、増田の内蔵が見出された。そして、増田町地域センター協議会会長の加藤勝義氏が撮影した蔵の写真集に触発され、地域の宝に目覚めた蔵の所有者たちが、内蔵を公開する「蔵の日」というイベントを開催したことが、増田の蔵を世間に広める契機となった。

現在、町並みを保存する「伝統的建造物群保存地区推進事業」が官民共同で進められており、この7月1日付けで横手市の「伝統的建造物群保存地区」に指定された。今後、文化庁に重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)選定を申し出るという。選ばれれば、秋田県内では角館に次いで2例目となる。

そもそも、なぜ増田にこのような豪勢な内蔵が建てられたのか。それは、ここ増田が交通の要所にあり、早くから商業が栄えた場所だったことに関係がある。現在の北都銀行の発祥の地が増田であり、水力発電所も建設され早くから電気が通っていた。そのため、多くの商人地主が増田に誕生し、その商人たちが、成功の証として冠婚葬祭の場として競って内蔵を建てたようだ。また、豪雪地域で、大正時代には火事が多かったことも内蔵の多い理由となっているのではないか。

県内でも有数の観光客を集めるようになった増田だが、所有者が不在のため、存続が危ぶまれている蔵も多い。たとえ重伝建に指定されたとしても、その保存と活用をどうするか、ただ単に蔵を保存するだけでは、早晩増田の蔵はなくなってしまうだろう。それを商いとしてどう活かしていくか、それが今後の課題である。

予算ありきではなく、グランドヴィジョンがなくてはいけない。今は、電柱の形、看板の形、住宅のイメージ等、統一できておらずバラバラで、景観が整っていない。これは、住民・蔵の会・行政・重伝建同士で情報共有ができていないというソフトの問題、漆や漆喰(国宝級といわれている)があるが、職人がおらず保存が困難であるというハードの問題がある。

DCや国文祭があるが、アクセスが悪いこと、情報発信が不足していること、お土産品の開発、宿泊所、食事処が少ないことが課題となっているので、色々なアイデアを持つ人と情報交換していかなければと思う。とはいえ、以前JRの大人の休日倶楽部に取り上げられたことにより、すごい効果で毎日のように人がくる。休みでカーテンを閉めていても入ってくることがあった。

今年は、10月27日に「蔵の日」のイベントを行うので、是非見に来てほしい。

【質疑応答】
竹内さん(岩手県)
蔵は個人の資産なので、修繕は自己費用でやらないといけないのか。

佐藤さん
重伝建は景観のみ。よって、内蔵の補修は経費の対象外。内蔵の上の屋根の補修は良しとのこと。しかしながら補修はなくならないので、補修費については、行政担当者が文化庁と折衝中。また、豪雪対策が一番大変で、蔵を抱えることで、雪寄せ、排雪が負担となっているので、蔵を壊したいという人も少なくない。
蔵は、そもそも人を入れるところではなく、物を入れるところ。そういう根本的な意味で、蔵と観光の繋がりづくりは難しいと感じている。
懇親会は竹内さんの乾杯の音頭でスタート。 乾杯は、講師の佐藤社長から提供していただいた、「まんさくの花」の純米大吟醸。鑑評会で金賞を受賞したお酒である。
恒例の各県持ち寄りの地酒紹介。今回は、佐々木会長から差し入れされた水が、とても評判よかった。  懇親会は、会場を2次会部屋に移して、延々と続く。 
翌日は、増田の内蔵を見学した。
佐藤養助商店の漆蔵資料館。
旧石田理吉家の木造3階建て住宅。今は横手市が買い取り、常時公開されている。 
日の丸醸造の文庫蔵。佐藤社長の案内を受ける。密に並んだ通し間柱がすごい。 日の丸醸造の文庫蔵の扉は、蛇腹が5段ある。増田の内蔵は蛇腹の段数で豪華さを競ったそうだが、その中でも5段は最高である。 
今回の参加者名簿
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