平成26年度 第24回定例会
「北リアス(久慈・野田)ラウンド」

TOP
定例会
連携ウオッチング
リンク集
参考資料
開催日:平成26年7月12日(土)
場所:岩手県野田村「えぼし荘」
参加者名簿  
 第24回北東北めぐみネットワーク定例会が、平成26年7月12日(土)、「あまちゃん」の舞台、岩手県三陸海岸北リアス地方で開催された。
  各自、岩手県野田村の国民宿舎「えぼし荘」に集合した後、宿のバスで最寄り駅の三陸鉄道北リアス線、野田玉川駅まで行った。
 ほどなくして、2両編成の団体貸切列車がホームに入ってきた。我々のほかに帝国ホテルの企業研修が入っていて、久慈駅から乗ってきている。今、このような震災復興研修旅行や「あまちゃん」のロケ地を巡るツアーが大人気だそうだ。
 三陸鉄道でもそのための車両のやり繰りが大変で、嬉しい悲鳴を上げているとのこと。我々が乗った車両は、掘りごたつ形式になったお座敷列車。「あまちゃん」のドラマの中で、アキちゃんとユイちゃんの女子高生デュオ「潮騒のメモリーズ」が披露されたのが、この車両だ。
【会長あいさつ】
 会長の開会挨拶は列車内で行った。
 冒頭で、この5月に亡くなった元岩手県副知事の竹内重徳さんに哀悼の意を表した。竹内さんは、この会発足当初からの会員で、ほぼ毎回のように定例会に出席してくれた。とても気さくな方で、いつも笑顔の絶えない人だった。そんな竹内さんに、もう会えないのは残念で堪らない。心からご冥福をお祈りする。
【講話1】
「三陸鉄道 復旧・復興の取組み」
  (株)三陸鉄道 社長 望月 正彦 氏
 

 一人目の講師は、三陸鉄道社長の望月正彦氏。県職員OBで、単身赴任5年目になるそうだ。この日も講話が終わったあと、業務のため、そのまま宮古に向かって懇親会には加わらなかった。

 震災当時の被害状況のパネルを示しながらの講話で、田野畑駅と島越駅の間の高架橋がこのように津波によって破壊された。すさまじいまでの津波の破壊力である。この場面は「あまちゃん」の中でも放映されていて、鉄道はこの手前のトンネル内で緊急停車したため、危うく難を免れたのだった。

 この日から、三陸鉄道の復興活動が始まった。そして、いち早く一部区間の運行を開始。三陸鉄道の復興が地元の人たちの希望の光となった。それでも全線を開通させるためには、多額の費用がかかる。そのため、少しでも自力で売上を伸ばそうと様々な試みを行った。例えば、三陸鉄道は旅行業の許可を得ているため復興支援ツアーを自ら企画して全国から旅行客を募集したところ大好評を博したり、被害にあった鉄道のレールを「復興祈願レール」と称して5万円で販売したところ、飛ぶように売れたという。

 また、クェートから1両1億5000万円もする新型車両を8両寄贈されたり、藤原紀香さんに応援大使をお願いしたり、志村けんさんに吉浜駅の非常勤駅長をお願いしたりしたそうだ。

 さらには、「あまちゃん」で人気だったウニ丼の車内販売。以前からウニ弁当というのは、駅で売っていたらしいが、「あまちゃん」人気に便乗して、あまちゃんのように海女の衣装を着て車内販売を始めたそうだ。おかげで、震災から3年あまりで全線開通にこぎ着けることができた。

 当初、復旧に要する費用が100億円かかるとされたが、鉄道の復旧ではなく、バス輸送やデマンドタクシーなどへの転換は考えなかったのかという質問に対し、鉄道会社の社長というより元県職員として、全国で地域鉄道を廃止したところは例外なく地域が衰退している、地域の活性化のためには鉄道は欠かせないという信念で復旧・復興活動にあたったとのこと。

 また、県民の74%が三陸鉄道復興に賛成した理由はとの質問に対し、鉄道が地域住民の生活の一部になっていることと、観光振興のためには鉄道が必要だという2点であると応えられていた。一人観光客がくると、宿泊や食事、土産物代など約1万円が地域に落ちる。そのためには、観光客を運ぶ輸送手段として鉄道は欠かせないとのこと。これは、三陸海岸という国内でも一級の観光地を抱える地方鉄道として、ある意味当然の考え方である。

 車窓の風景。津波被害にあった安家川(あっかがわ)沿いの県道の嵩上げ工事と、高台復興住宅地造成工事が行なわれている。
 堀内駅に停車。ここは、「あまちゃん」のドラマでは「袖が浜駅」だったところで、アキちゃんの実家、天野家が住んでいた袖が浜海岸の最寄り駅だった。実際、北の海女が活躍する袖が浜海岸のロケ地は、久慈市にある小袖海岸で、三陸鉄道からは離れた場所にあるそうだ。 
 堀内駅のホームから見る漁港の風景。ここでも、あまちゃんのロケが行われたという。あの灯台が、主人公のアキちゃんが海に飛び込んだ場所か、と想像してみる。
 他の人たちも、ホームに下りて一斉に漁港に向けてシャッターを切っていた。 
 田野畑駅に到着。列車はここで、久慈駅に向けて折り返す。帝国ホテルの企業研修の人たちもここで下りて、バスに乗っていった。
 田野畑駅舎。ここも、あまちゃんのロケ地で、ドラマではアキの親友ユイちゃんの実家の最寄り駅「畑野駅」として登場する。田野畑駅の愛称カンパネルラとは、宮沢賢治の代表作「銀河鉄道の夜」に登場するジョバンニの親友の名前だが、なぜそれがこの駅の愛称になったのか、その由来はよくわからない。
【講話2】
「『笑顔あふれる久慈市』を創る」
  久慈市長 遠藤 譲一 氏

 田野畑駅からの復路、二人目の講師、久慈市長の遠藤譲一氏の講話を聞いた。遠藤市長も県職員OBで、56歳のとき県の地域振興局長を最後に退職し、久慈市長選挙に立候補したそうだ。その時は、53票差で落選。4年後の今年3月、2度目の挑戦で見事当選した。

 あと27人が自分に投票してくれれば当選できたと語る市長の言葉に、落選したときの悔しさがにじみ出ているように感じた。県職員の話すことは理屈ではわかる。でもそれで投票するかというと、やはり日頃お世話になっている人の方になってしまう、ということを何度も市民から言われたそうだ。久慈市は、この60年間、2軒の家からしか市長が出ていなかったそうだ。18歳までは久慈に住んでいたが、それからは地元を離れ、ずっと盛岡に住んでいたので、あなたのお父さんのことはわかるけど、あなたのことはわからないものな、とも言われたそうだ。

 そこで、落選後の4年間は、市民の家を一軒一軒回って歩き、現場の生の声を直接聞いて歩いたそうだ。市長になってからは、市職員に対して、待ちの姿勢ではなく自らアイデアを出し、政策を企画し、実行することの重要性を訴え、職員の意識改革に最優先で取り組んでいるという。

【講話3】
「野田村の復興状況について」
  野田村副村長 高橋 幸司 氏


 野田玉川駅で三陸鉄道を下車した後、今宵の宿、「国民宿舎 えぼし荘」で、野田村副村長、高橋幸司氏の話を聞く。

 高橋副村長は、岩手県庁からの出向者で、今日の講師は3人とも県庁職員出身者だった。高橋副村長は出向して2年目、県庁時代は企画の仕事もしていたそうだ。

  野田村は、震災後、直ちに復興計画の策定に取り掛かり、住民への説明会や国・県・議会への説明などを経て、震災の年の11月には復興計画を策定している。その後、平成25年1月に、県内で最初に「防災集団移転促進事業」による高台住宅団地の造成工事に着手できた。これは、行方不明者の捜索が早く終わり、住民の理解や国土調査が早期に完了したことによる。それでも、震災から1年10ヶ月の時間がかかった。既存制度では不都合なことが多く、今回の教訓をもとに震災時に早急に対応できる制度の創設が必要と力説されていた。

 今年度から一部地域で住宅の建設や共同住宅への住民の移転が始まっている。県内でも、もっとも早く復興が進んでいる地域といってよい。我々の宿舎の「えぼし荘」の裏側も、高台復興住宅地の造成が行われており、個人住宅の建設も行われていた。

 産業の復興では、主力の水産業で、漁船や養殖施設、荷捌き施設、蓄養施設等の復旧を終え、カキやワカメのブランディング・プロジェクトなど復興の段階にきている。また、被災した「のだ塩」の製造施設も「えぼし荘」の隣接地に再建、いち早く製造を開始したそうだ。今、大人気の「のだ塩ソフト」の原料である。

 さらに、企業による木質バイオマス発電事業も進んでおり、平成28年4月に商業運転が開始される予定で、発電規模11,500kwh、雇用創出が30人〜40人程度と見込まれている。

 しかしながら、震災前からの課題として、社会減や自然減による人口減少を意識した復興施策を講じていく必要があるという。そのため、子育て支援や結婚支援なども加味した総合的な施策を展開しているそうだ。
 懇親会の開始。冒頭に、故竹内さんを偲んで黙祷を捧げた。前会長の岩手県の佐々木氏が、懐かしい竹内さんの写真をパネルにして持ってきてくれた。
 恒例の各県持ち寄りの地酒紹介のコーナー。今回、秋田県は菊地智英さんにセレクトをお願いした。菊地さんもなかなかの日本酒通である。 
 翌朝、野田村のマスコット・キャラクター「のんちゃん」を手にして、はいチーズ。「のんちゃん」とは、サケの子どもをデザインしたものだそうだ。 
今回の参加者名簿
▲ページトップへ戻る