令和元年度 第35回定例会
「大館ラウンド」

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開催日:令和元年12月7日(土)〜8日(日)
場所:秋田県大館市「ふるさわおんせん光葉館」
参加者名簿  

 今、国際的に注目が集まる"秋田犬"のふるさと大館市で開催された第35回めぐみネットワーク。今回もまた、講師の熱い思いを受け止めて、北東北3県から大勢の人が集まった。
「け?く!秋田犬のふるさとの愉しみ方」
          大館市長 福原 淳嗣 氏

 大館市は、この数年で、ものづくりの力(製造業、農畜産業)と、ものがたりが持つ力(観光DMO)の二つの力が大きく伸びている。大館市が目指しているのは「クラスの人気者」になること。クラスの人気者になるためには、@いつも笑顔、A悪口言わない、B一緒に遊ぼう!、の3つがポイント。これで、色々な所と仲良くなれて、一緒に事業ができたことが大きな要因。そして、二つの力を整えることによって「にぎわい」の創出を図り、その恵み(財源)を「人づくり」と「安全・安心」につなげていく。あらためて大館力とは、外貨を稼ぐ力である「ものづくりの力」と、外からお客様を呼ぶ力である「コトづくりの力」の二つ。ものづくりの力としては、環境リサイクル(鉱山技術)、医工連携(市立病院)、宇宙・航空分野、コトづくりの力としては、3D連携(函館、大館、角館)、秋田犬忠犬ハチ公のふるさと、奥州藤原の物語などである。
 大館市が進めている様々な連携の具体例をあげると、令和の時代のものづくり=風力とロケット、これで能代市と大館市の連携を進めている。さらに能代とは港の連携もあり、弘前からの製造品出荷を塩釜港から能代港に持ってこれないか、現在構想を進めている。
 忠犬ハチ公のふるさととして、渋谷区との連携、上野英三郎博士の出身地、三重県津市との連携などを進めている。また、大館市は奥州藤原氏の4代泰衡公が源氏に攻められ、自刃した土地。その縁で、平泉町や中尊寺との連携、さらには奥州藤原氏発祥の地、横手市や美郷町との連携を進めている。忠犬ハチ公が結ぶ大館と渋谷の連携で核になるのが東急グループ。今、東急グループと東北をどうつなげていくか話をしている。政治的な話ではなく、経済界のシナジーが働いているからこそできる話である。東急グループと大館がコラボする企画を来月からやっていきたい。
 新元号「令和」時代の市政の方向性は、「外に強く 内に優しい 大館」ということ。これまで以上に「人づくり」「安全・安心」のまちづくりに注力し、暮らしをつなぐまちづくりを目指したい。目標は、バリアフリーとキッズデザインである。
 また、あらゆる世代の学びたい!を応援。人生100年の時代だからこそ、リカレント教育が重要。全ての世代にふるさとキャリア教育を実施する。
 さらに、バリアフリーのまちづくり、キッズデザインのまちづくりを進めるために必要なのが、移動「モビリティ」というサービスが重要。そのためには、技術だけでは駄目で、システムとしての「つながり」地域住民のネットワークが必要となってくる。「つながりづくり」のため、(内には)暮らしをつなぐ政策として、全世代型ふるさとキャリア教育、地域包括ケアシステムを使わず高齢者を独りぼっちにしない取組、(外には)まちをつなぐ政策として、弘前地区&五所川原地区との消防相互応援協定や大館警察署との相互連携協定を結んだ。
 まちとまちをつなぐことで「外に強く!」、暮らしをつなぎ合わせることで「内に優しい!」、これが令和の大館である。志民一人ひとりをみがいてつなぐ、未来にまちを「ひらく」まちづくり、匠と歴史を伝承し、誇りと宝を力に変えていく「未来創造都市」、それが大館である。
 最後に、「ハチとパルマの物語」という日露共同制作映画に大館市長の役で壇蜜さんと共演させていただいた。来年、ロシアで公開、日本での公開は再来年である。

【質問】
岩手県 中村さん
 人口減少時代、これから生まれてくる子どもたちの定住策や交流から生まれる移住策は。
福原市長
 短期的には、県と連携して経済的な子育て支援を行っている。中期的な施策としては20代、30代、40代の様々な世代に対応した子育てのサポートを実施していく。長期的には、女性の多様な社会を私たち男性が受け止める寛容性を持たなければ出生率の回復は見込めないと思う。0.8パーセント移住人口を増やすということだけで、相当人口減少の幅をゆるくすることができる。そして30年後くらいには人口増に転ずることが可能になる。大館は25歳以降に人口が戻ってきている。これは、ニプロの影響。ただ、1歳から5歳までの人口減少が著しいので、短期的な施策で子育て支援を強化する。この5年が勝負だと思っている。

青森県 菊地さん
 大館では地域包括ケアシステムを使わないということだが、具体的にどのように高齢者の支援を行っているのか。
福原市長
 市内8カ所の中学校単位で、生活支援コーディネーターを配置して、支援を行っている。地区単位でできないことについては、市全体で支援を行うという2層構造で支援を行っている。ここふるさわおんせんもそうだが市内100カ所に高齢者が集えるサロンを作って、地域全体で高齢者を支える仕組みを作っている。 
「陽気な母さんたちの挑戦」
  陽気な母さんの店 会長 石垣 一子 氏


 平成9年に秋田県で「いきいきむらづくり事業」が立ち上がり、農家の女性が頑張って地域の活性化に取り組めるのではないかということがスタートだった。当時、「緑の市場」という事業が、農協の女性部で行われ、ハウスをかけて自分たちで作ったものを自分たちで売った。直接自分たちの収入になり、消費者とも直に話ができたことが、農家の女性たちには大きな励みになった。しかしながら、ハウスでは6月から11月までの期間に限定され、果樹農家では販売する時期には開いていないという課題があった。そこで、常設直売所を作りたいと考えるようになった。農家の女性の思いを発信する基地、それが常設直売所だという話を行政の人たちに何度も行った。平成12年に常設直売所設置に関する女性農業者100名の要望書を市議会に届けたが、同じ議会に7名の男性から反対の陳情が出され、結局公的資金の導入は認められなかった。その時、当時県会議員だった人が自分の土地を貸してくれ、月43万円のリース料を払うということでやっと開設にこぎつけることができた。公的資金の導入ができなかったので、100名の女性が88名に減ったが、平成13年に「陽気な母さんの店」をオープンさせ、常設直売所を作るという女性たちの思いを達成することができた。
 私は3代目の会長を務めているが、「陽気な母さんの店」は女性農業士の会を核として運営し、年商1億円を目標にスタートした。なぜ1億円か、それだけの売上がないとリース料43万円の支払いが困難だったから。開設当初から組織図に沿って、組織体制と取締役、事務の責任者(書記)を明確にしてスタートさせたことが成功した要因だと思う。また、役員会(取締役会、各部役員会)を定例化し全員会議を毎月開催、全員が同じ方向を見て運営するようにしている。
 直売所は4つの部門を柱にしている。まずはメインとなる「直売部門」、ここに来なければ食べられない食材を使った「食堂部門」、こちらからお客様を見つけて販売する「宅配部門」、そして当時の直売所ではどこでもやっていなかった「体験部門」を立ち上げた。当時は消費者の声を聞くということを誰もやっていなかった。消費者と体験交流をすることによって、農家がどうやって農産物を作っているか、どうやって加工品を作っているかということを情報発信することができる。また、消費者と交流することで、消費者からの意見や提案を農家に発信することで、消費者と生産者の溝を埋めていきたいと考えている。
 直売所は、会員個人のコーナーが二つあって、いつ行っても自分の生産物を置くことができるようにしている。そして自分はどんな人間で、どんな思いで農業をしているかを伝えるメッセージカードをつけている。これまでは、自分たちの思いだけで15年間やってきたが、平成27年の株式会社化を機に、消費者のことも考えて、商品の配列をカテゴリー別に分けることにした。さらに、消費者の利便性を考え、通路も広げ、個人のメッセージではなく、店としてのメッセージを伝えるように変更した。そして「陽気な母さんの店」として特に推奨する商品の所には、店のマークを展示するようにして、より店舗としてのアピールを強めるよう工夫を加えた。
 また、株式会社化を契機に、その輪を男性会員にも広げ、内部の意識改革にも取り組み、15年契約で月43万円だったリース料も引き下げ交渉を行い、月10万円+消費税にまで引き下げてもらった。株式会社になって、1年目は黒字で配当も出せたが、2年目は赤字になった。そこで、話し合いの結果8人の従業員に辞めてもらい、その人たちに会社を作ってもらい加工所を貸して、売り上げ分の手数料をもらうようにした。その結果、黒字に転ずることができた。このように、陽気な母さんの店はできるだけ身軽にして、家賃と売上手数料で稼ぐスタイルにしている。
 また、会員のための勉強会や研修会も開催している。実は、私たちは大館市からキッチンカーを借りて、先ほど市長が話していた高齢者のサロンにコーヒーや温かい総菜などを持って行って、市民との交流を深めている。このように、私どもは単に直売所として物を売るだけではなく、市民との交流の場にしていきたいと考えている。
 さらに、経営を辞めた高齢の果樹農家から畑を借りて、樹木を伐採し、そこに山菜や薬草を植えることにも事業として取り組んでいる。薬草については育てるのが難しくてものにならなかったが、山菜を活用して、女子栄養大と連携した薬膳料理を開発して売上に結び付けている。
 県の事業を活用して、台湾や、沖縄、香港に行って、大館の食を海外等に発信することも行っている。地域連携としては、地元の小学校とは全ての学校と連携して、食材の提供を行っている。大館は、学校だけではなく、地域が地域の子どもを育てようという取組を行っている。きりたんぽの長さでギネスに挑戦などの取組も行った。このような活動を通じて、地域再生大賞という大きな賞もいただいた。その結果、色々な地域から講演依頼をいただいているところである。このように、農家の母さんでも頑張っていけば、視野を広げていけるんだなと、大変ありがたく思っている。
 私たちが掲げている目標は、それほど難しいことではない。
1 「新鮮」、「安全」、「安心」な農産物を提供します。
2 加工品開発に力を入れ、商品化を目指します。
3 体験教室を通して、食育支援を継続します。
4 農業、農村生活の情報発信に努め、消費者との信頼関係を築いていきます。
5 直売活動を通し、地域の一員として社会と繋がる元気な母さんでありたいと思っています。

【質問】
岩手県 高橋さん
 最初の頃は、旦那さんたちは否定的だったと思うが、こうした取組が広がる中で後男性たちの視点はどのように変化していったのか。
石垣さん
 私たちが一歩踏み出すことによって、行政の方から審議委員とか農業委員や農協の理事に女性枠というものを作ってもらって入って勉強させてもらうようになった。そういう公の場では女性活躍が進んでいったが、なかなか地元では理解が進まなかった。20年近くが経過して、村のためにも何かしてもらえないかと声がかかるようになってきた。特に、修学旅行を受け入れさせてもらうと、地域の人たちに理解してもらえないと会館を利用させてもらえない。最近では、子供たちに地域の人たちが声をかけるようになったことが、理解が進んでいる証だと思う。
会員報告  
    光智会大館園 施設長 高橋 義博氏


 函館出身で高校生まで函館にいたが、弘前大学に来て卒業後医者になって約10年間は青森県内にいた。平成元年から大館に赴任し、以来30年以上大館に住んでいるが、大館は便利な所である。青森空港まで1時間、盛岡まで1時間半で行ける。教育環境も整っているし、自然環境も良い。地震が少ないし、原発からも300キロも離れている。300キロ離れていれば絶対安全だと言える。人口減少は進んでいるが、コンパクトシティという考えもあるし、都市機能は備わっている。大館は良いところだと強調されていた。小児科医として30年勤務し、その間大館の出生数は1/3に減少。大館の小児科医は十分に足りている。そこで逆転の発想で、高齢者を医療資源と捉え、市立病院の定年退職後は介護保健施設に勤務することにした。痴呆症50床、一般介護病棟100床、計150床で県内では大きい方の施設であるが、今、独居老人が多く入居の順番待ちの状況である。これは経営的にも安定した状態だと言える。高齢者を資源として捉え、うまく利用することによって、高齢者にとっても安心して住める場所になる。
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今回の参加者名簿
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