Diary 2004. 3
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3月24日 (水)  春の甲子園

今年の春の甲子園には、久しぶりに秋田商業が出場した。昨年秋の東北大会では準決勝で敗れていたので、まさか出場するとは思っていなかったが、正規の地域枠ではなく、守備力を重視したとされる希望枠で出場することになったものだ。選抜大会だから、多様な基準で選んでいいのだろうが、それにしても地元秋田県の高校が出場するのは嬉しいものだ。

その秋田商業の試合が今日あった。四国の鳴門工業に10対0という大差で勝利した。秋田県の高校が選抜で1勝するのは18年ぶりのことだという。春の大会は、とかく雪国のハンデとやらが叫ばれてきた。しかし、今回の秋田商業はどうやらそんなハンデを感じさせないチームになっている。

守備力重視で選ばれたというだけあって、投手力を含めた守備の力はすばらしいものだったが、それ以上に攻撃力も捨てたものじゃない。この分だと次の試合も期待が持てる。

今回のもう1つの楽しみは、姪っ子がブラバンで甲子園まで応援に駆けつけているということ。今日も両親や妻がテレビに釘付けで、姪っ子の姿を探したというが、残念ながら映らなかったらしい。2回戦では映るかな。また、家族みんなでテレビの前に釘付けになるに違いない。

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3月21日 (日)  5周年

このホームページを開設して、今日でちょうど5周年を迎えた。5年といえば区切りの年。最近ちょっと停滞気味のホームページだっただけに、何か新しいことを始めたいなぁと考えている。まずは手始めとして「あきた散歩」の充実から。もともと秋田を色々な人に知ってもらいたくて始めたページだから、ここでしか見られないというものを目指したい。今年は、県内各地の山や湿原、海岸などで見られるお花畑をシリーズで追っかけてみようかと思う。仕事の加減でどうなるかわからないが、ストレス発散には最高の気分転換ではないだろうか。


3月18日 (木)  興奮の覚めやらぬうちに

サッカーU23日本代表がアテネ出場を決めましたね。ドキドキの最終予選だったけれど、最後はきっちりと勝って決めてくれました。さすがです。日本サッカーは本当に強くなったものです。これで3大会連続のオリンピック出場。前々回のアトランタでは一次予選で強豪ブラジルを破り、2勝1敗だったのに得失点差で予選落ち。ゴールキーパー川口の好守が光ってました。中田の鮮烈な国際戦デビューも印象的でした。前回のシドニーではベスト8の大活躍。世界ユース準優勝の貫禄を如何なく発揮してました。このときのメンバーはそっくり今の日本A代表ですね。そして今度のアテネでは?

期待が高まります。個人的には平山にもう少し体力をつけてもらって、アグレッシブにゴールに向かっていくシーンが見たいものです。ガンバレ、日本。


3月17日 (水)  女子マラソンのオリンピック代表

高橋尚子さんの落選は残念だったが、選考レースの内容を考えると、今回のオリンピック代表選考は妥当なところである。問題は、陸連が過去にそういうはっきりとした選び方をしてこなかったということ。だから小出監督も、高橋尚子選手も、どこかに過信があったのだろう。今回事前に示されていた選考基準だって、とてもあいまいなものだった。あれなら、選考レースの東京国際女子マラソンで日本人1位だったし、過去の抜群の実績から判断して自分たちが選ばれないわけがない、と誤解してもおかしくはない。

でも、今回高橋選手を落としたことは、ある意味正解だと思う。日本陸連もやっとまともになってきたなと評価したい。次回以降もこの調子ですっきりした基準で選んでほしいものだ。そうすれば、誰も選考で泣く人はいなくなるだろう。


3月15日 (月)  偶然の再会

今年に入って4度目の仙台出張。しかも3月は今日で2度目。仙台の街の風景も行き交う人々の姿も、何の違和感もなく溶け込んでくるようになってきた。この調子だと、いつ東北州に移行しても大丈夫だね。

最近、2回ほど仙台土産に長茄子漬けを買って帰ったら、父が気にいったらしく、今回は父から土産のリクエストがあった。お気に入りは唐辛子が入った辛口仕立てのもの。今日は2袋買って帰った。

秋田新幹線こまちで秋田駅に着いてから、バスの乗り換えまで5分しかなかったので、急ぎ足でバス停まで向かっていたら、突然「きむらさん」と呼びかけられた。誰かなと思って声のする方向を見たら、10年以上前に情報統計課で一緒だった臨時職員のHさんだった。

Hさんは先天性の障害を持った女性だった。それでも仕事の事務処理能力はすごく高かった。その彼女だが病状が悪化して病院に入院するようになった。次第に歩けなくなり、口も利けなくなってしまった。入院してから一度見舞いに行ったことがある。同じ職場だったころ、バレンタインチョコのお返しにお菓子を手紙を添えて渡したことがあったのだが、彼女はその手紙を大事に取っていて、自慢げに看護婦さんに話していたという。それ以来、見舞いに行くこともなく、消息もわからなくなってしまった。

そんな彼女に再会したのは、今から4、5年前のことになろうか。まだテクノポリス財団があったころ、定期的にナイトセッションという催しものをやっていた。その会場に彼女が来ていたのだった。彼女は車椅子で、話も機械を通して文章による会話だった。それでも、彼女に会えたということに、ボクはとても嬉しかった。そのとき彼女から障害者支援施設でボランティアをしているという話を聞きながら名刺をもらったのだった。

そして今日の偶然の再会。彼女は杖をつきながらではあったけれど自力で歩いていた。そして、「きむらさん」と直接自分の口から呼びかけてくれた。こんなに嬉しい出来事はなかった。こうなるまでに、彼女は相当頑張ったに違いない。彼女はJRの改札口へ向かっていたし、ボクはバス停に向かっていたので、すれ違うような格好だったんだけれど、もう少し話しをすれば良かったなと今になって後悔している。

でも同じ秋田市内で元気で働いている彼女のこと。また、どこかで会う機会があるに違いない。そのときどんな姿を見せてくれるのか、楽しみである。


3月14日 (日)  秋田スギ活用住宅

秋田スギ活用促進チームという組織が秋田県庁にある。需要が低迷している秋田スギの利活用を進めようという目的で2年間限定の組織として作られたものだ。その秋田スギ活用促進チームが秋田スギを活用した住宅の設計コンペを行った。条件は坪40万円以下の低コストで仕上げるというもの。「秋田スギを使いたいけれど、どうしても割高でねぇ」という声に応えたもので、安くていい住宅なら秋田スギの利用も増えるはずという目論見がそこにはある。

今日、そのコンペの表彰式と講演会が県庁第二庁舎で開かれた。最優秀賞1点、次席2点、優秀賞が7点選ばれ、いずれもこれから県内に建築され、公開展示されることになっている。審査委員長を務めた筑波大の安藤邦廣氏による入賞作品の講評を聞いたが、どれも素晴らしいものばかりで公開展示されたら是非見に行きたいと思った。

記念講演会では、TV番組「劇的ビフォーアフター」で匠として登場したこともある江口恵津子氏によるリフォームの話。古くて使い勝手の悪い住宅を、まるで見違えるようにものの見事にリフォームしてしまう匠の技は、まるでマジックショーを見るような爽快さを覚える。今度、4月25日に3度目のTV登場となるということなので、これは見逃せないかな。


3月13日 (土)  なかむら

昨日は定期人事異動の内示の日。去年異動したばかりなので、仕事は変わりなかったが、組織改変で課の名前が「学術振興課」から「学術国際局科学技術課」に変わった。なんとも長ったらしい名前。せっかく今の課の名前になじんだと思ったのになぁ。

内示の日は飲み会と相場は決まっている。昨日は通町の「なかむら」というお蕎麦屋さんを会場にして、班のメンバーで一献を傾けた。ここは夜は予約制になっていて、コース料理をお願いするには2日前までの予約が必要だという。蕎麦は秋田で一番じゃないかと思うくらい美味しいのだが、もう少し気軽にふらっと入れる店にしてほしいなぁといつも思う。蕎麦が美味しいだけにそこがちょっと残念だ。

「なかむら」は午後8時で終了してしまうので、9時前には家に帰りついた。帰ったら、左足のくるぶしのあたりがひどく腫れていた。2週間前の蕎麦会のとき、どこをどう捻ったのかわからないが捻挫を起こしてしまい、それがずっと治らずに尾をひいている。昨日はさすがに患部を冷やしてやすんだ。湿布剤がなかったので、子供の熱冷まし用に売られている「熱さまシート」というものを代用した。これが結構効くものだ。今朝方にはすっかり腫れも引いていた。しばらくは、「熱さまシート」を足に貼り付けておこう。


3月10日 (水)  同窓会

昨日は、秋田高校同窓会県庁支部の総会と退職者慰労会だった。同窓会組織のなかでは、おそらく最大規模の会員数を誇っていると思われる県庁支部だけあって、同窓会長やら学校長、同窓会事務局長などゲストの顔ぶれも多彩だった。しかし肝心の退職予定者が15人中3人しか出席しなかったというのは、いささか寂しい限りである。会員数は多いものの、つながりが希薄な我が組織を象徴するかのようであった。

学校長のあいさつのなかで、今度「現代」という雑誌で伝統の力という特集記事を組むという話があった。その第1回に秋田高校が取り上げられるという。秋田高校の卒業生である佐々木毅東大総長、明石康元国連事務次長、石井浩郎元プロ野球選手の対談が組まれているそうだ。昨年9月に創立130周年を迎えた秋田高校。その歴史の古さは全国でも上位に位置する。これまで輩出してきたあまたの卒業生の数々。それこそキラ星の如くである。何でも、今度ミスワールド日本代表に選ばれたのも秋田高校の卒業生だとか。東大総長からミスワールドまで、ホント秋田高校は幅広い人材の宝庫なのである。


3月8日 (月)  鳥インフルエンザ

鳥インフルエンザが猛威をふるっている。鳥から人間に染ることは稀とはいえ、現に東南アジアでは人に感染して何人も死亡していることを考えれば、日本はまだ救われているといって良い。

それにしても、今回の浅田農園の事例はひどいものだ。鳥が1日に千羽以上も死んでいるというのに、経営者から京都府の衛生当局に何の連絡もなかった。匿名の電話で初めて京都府が知ったときには、感染から1週間以上もたったあとだったという。しかも、その間に感染した生きた鳥が食肉業者に出荷されていたというから、驚くほかない。

山口や大分で、あれだけ鳥インフルエンザが騒がれていた今の時期に、目の前で鳥がバタバタと死んでいく状況をみて、プロである養鶏業者が鳥インフルエンザを疑わないほうがおかしい。今回の場合は、完全に感染を疑いながら、損をしないように売り逃げしてしまおうという浅ましい考えによるものだと思う。何と言うモラルの欠如。こういう人間が我々の食を預かっているのかと思うと空恐ろしくなる。日本はいつからこういうモラルの欠いた国になったのだろう。

今回は2次感染と思える事例が発生してしまった。これも、浅田農園がきっちりと対応していれば起こりえなかったことである。こうなると、もう人災以外の何物でもない。さらには、野鳥のカラスからも鳥インフルエンザウィルスが検出された。このままいくと、どこまで感染が広がるか予想だにつかない。

そして、今日浅田農園の会長夫妻が自殺した。何とも後味の悪い事件である。浅田会長は責任ある当事者として絶対に自殺すべきではなかった。説明責任を果たさないまま、死んでしまうなんて無責任もはなはだしい。よく死んでおわびをするというが、そんなのおわびにも何にもならない。何故そのような事件をおこしたのか、どう償っていくのか、今後このような事件を起こさないようにするにはどうすればよいのか、そういうことを生きてしっかりと責任を果たしてほしかった。

これから日本は、そして鳥インフルエンザはどうなっていくんだろうか。本当に心配である。


3月7日 (日)  妻の誕生日

3月7日は妻rumikoの誕生日である。

せっかくだから、誕生日プレゼントを買いに行きがてら、外で食事をしようかと提案したら、今日は母が会合で家に居ないのだという。父を一人家に置いて外食には行けないとrumikoが言うので、午前中誕生日プレゼントだけを買いに、御所野のイオンに行った。

それにしても御所野のイオンの人気はどうだろう。今日は開店直後の10時に行ったから良かったが、帰る時刻の11時半ころには、すでに駐車場が一杯になっていた。駅前など市街地のデパートが軒並み苦戦を強いられているというのに、イオンの一人勝ちの感がある。

東宝シネタウンを併設し、ボーリング場やカラオケなども備え、歯医者や美容院などもある。そこに行けば娯楽のすべてが揃っているというコンセプトが若者をひき付けるのだろう。とにかくすごい人出である。この繁盛振りをみていると、日本経済は決して不況ではないんだなと思ってしまう。要は商売の仕方如何なんですね。


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